余命宣告された患者の最後の砦となり、1000人以上の命を救ってきた移植外科医の加藤友朗さん(53才)。現在、ニューヨークを拠点に、世界的に有名な移植外科医として活躍中だ。ドラマ『ドクターX』(テレビ朝日系)のモデルになり、現代の『ブラック・ジャック』ともいわれている。そうしたイメージから想像もつかないほど、親しみやすくて明るい。「どんな病状の患者さんが来ても絶対に“NO”とは言わない」と言う加藤さんは、患者にとって、どんな医師なのか。加藤さんと、その患者さんに話を聞いて見えてきたものは――。
福岡で会社経営をする因間利休さん(63才)は、2012年に肝臓がんで「余命1年」と宣告された。家族は、アメリカでの肝臓移植へと踏み切った。妻の富美子さん(60才)は言う。
「夫は根っからの九州男児で、一度、決めたら譲らない。英語もできないし、まさかこの年で、ニューヨークに行くなんて…それでも夫を助けてほしい。加藤先生を頼り、2人で渡米しました」(富美子さん)
移植手術は緊急性を要する患者から優先的に行われる。アメリカは提供者が多いとはいえ、自分の臓器に合ったドナーがすぐに現れるとは限らない。因間さん夫妻は2012年7月に渡米、ドナーを待つ間、利休さんは多発性がんを新たに発症、肺炎、肺気腫、糖尿、感染症、さらには骨折まで、どんどん容体は悪化していった。
「夫は歩くのもやっと。現地のドクターたちが“もう無理だろう”“あと2週間…”と陰で話しているのも聞きました。看病している私も精神的にまいってしまい、最後はストレスのせいか、目がまったく見えなくなる日がありました」(富美子さん)
この頃、すでに約11か月が経っていた。不安が募る中、加藤さんの言葉がふたりを支えた。
「みんな元気になって帰っているから、ご主人は絶対大丈夫ですよ。ダメだったかたは1人もいません」(加藤さん)
「先生のそのひと言で、心に刺さったとげが抜けるようにスーッとラクになりました。先生は患者の家族の心のサポートもしてくれる。知らない土地で、そのひと言にどれだけ救われたかわかりません」(富美子さん)
2013年6月、12時間におよぶ肝臓移植は成功した。夫の利休さんは笑いながら言う。
「先生と会ってなかったら、もうこの世に自分はおらん。あとの人生はまるもうけや。毎日、感謝です」(利休さん)
伊葉さん一家は、移植手術に至るまで、父と娘、それぞれの葛藤があった。2006年、大阪府の会社経営・伊葉功二さん(73才)は、肝臓がんで余命1年と宣告された。3人娘の1人、陽子さん(36才)だけが、父への臓器提供ができると診断された。
当時、陽子さんは独身の26才だった。肝臓を提供しても子供を産めるか移植コーディネーターに尋ねたところ、こう言われた。