実はいまなお日本の上場企業の約4割が、創業家が大株主であり続ける「ファミリー企業」である。ただし、いつまでも創業家が経営に関与するとは限らない。多くが企業が設立した財団の理事長や関連会社社長などに就くなか、“新天地”で意外な成功を収めているのが自動車のマツダ創業家・松田家である。
「リーグ優勝は四半世紀ぶりで、すごく追い詰められている気持ちだった。ひょっとしたら、優勝できないのかとも思った。感激したのは選手の成長。この1年間で、戦いを通じて成長してくれた。うれしいし、誇らしい」(毎日新聞11月6日付朝刊)
こう語る広島東洋カープのオーナー・松田元(はじめ)氏の曾祖父は、マツダの創業者・松田重次郎氏である。祖父・恒次氏、父・耕平氏も社長を務め、元氏もマツダに入社した。が、父・耕平氏が1977年、業績悪化の責任を取り社長を退くと、その5年後に元氏もマツダを去った。持ち株比率も低下し、創業家のマツダへの影響力はなくなった。
元氏がマツダ退職後に就いたのが、カープの取締役だった。その後、オーナーになり現在に至るまで35年にわたってカープの経営に携わっている。元デイリースポーツ編集局長の平井隆司氏がカープと松田家の関係を解説する。
「プロ野球が2リーグに分裂した1950年を前に、全国各地から新球団が名乗りを上げたが、広島には一社で球団を支えられる大企業がなかった。そこで、地元財界、市民、県民が一体となって市民球団として誕生したのがカープです。マツダ創業者の重次郎氏も創設に尽力しました。
その後、球団経営が悪化するとマツダの出資が増え、1968年にはマツダ社長だった恒次氏が個人で筆頭株主となり、初代オーナーになりました。このときに広島“東洋”カープと改名。マツダの当時の社名、東洋工業のことです。
それ以降、実際には松田家の私有球団だが、あくまで市民球団というイメージを守っていることで、ファンの間でもオーナー一族の人気が高い。一方、マツダスタジアムについては広島市が建設し、命名権をマツダが買って付けたものですが、これは創業家に対する敬意の表われだそうです」