一口に独裁者と言っても、時代によっていくつかの特徴がある。古代や中世では、ローマ帝国第5代皇帝・ネロ(37年~68年)や隋朝第2代皇帝・煬帝(569年~618年)のように淫蕩ぶりが有名な独裁者が多い。
たとえばネロは、正妻を不義・姦通の罪で自害させた一方で、自身は母親、既婚女性はおろか、少年、巫女まで性の対象にしていた。煬帝の場合は、父・文帝に死んだ日に目をつけていた父の寵姫を抱いたほか、乗客が手足を動かせない仕掛けのクルマに処女を乗せてはその都度行為に及んだという。
それが近現代になると、残虐行為で多数の犠牲者を出す独裁者が増える。
ソヴィエト連邦第2台最高指導者のヨシフ・スターリン(1878年~1953年)は自分に批判的な人間を「人民の敵」とし大粛清を行い、全国各地に処刑人数の「ノルマ」を課し、処刑された国民は100万人以上とも言われる。農民から家畜や農具を没収し、集団農場で労働させ収穫もすべて徴収、抵抗者は逮捕するなどしたため数百万人の餓死者を生み食人も発生した5か年計画に、スターリンは「ひとりの人間の死は悲劇だが、数百万の人間の死は統計上の数字でしかない」と言い放った。
カンボジア(民主カンボジア)首相だったポル・ポト(1928年~1998年)は反抗を恐れ教師、医師、技術者など成人の知識層を中心に200万人以上処刑した。眼鏡をかけていることで文字が読める=教養があるとして殺害された者もいた。その結果、カンボジア国民の8割以上が14歳以下に。処刑で大半の医師が姿を消したため、医学知識のない「子供医師」が登場する事態になった。