長生きは本当に「めでたい」ことなのか。歳を重ねれば体の不調や気力の落ち込みを実感することも増える。各界で活躍を続ける90代は、自らの“老い”とどう向き合い、折り合いをつけているのか──。
90歳になっても早朝のラジオ体操を欠かさず、週5日、毎朝8時に出社する。食品スーパー大手・ライフコーポレーション会長の清水信次氏(90)は老いてなお矍鑠(かくしゃく)とし、口を開くと話が止まらない。あっという間に3時間をしゃべり尽くした。
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お世話になった岸信介先生と福田赳夫先生が亡くなったのが90歳。2人とも健康にすごく気を遣われていたから、自分が同じ年齢になったと思うと感慨深い。
僕はわりと知り合いが多いけど、卒寿のお祝いはすべて断わった。ところが、麻生太郎さんだけは「どうしてもやる」と聞かず、お祝い会を開いてくれた。彼は帽子とコートで決めたお気に入りのファッションで登場しましたよ(笑い)。
90歳で体はボロボロです。耳は遠くなり、目は片方見えない。歯はすべて入れ歯で、転倒するとまずいから外出には車椅子を利用する。だけど、理性や精神はおかげさまで大丈夫です。頭の回転や切れ味が冴えてないと生き残れないからね。
今も7時半に家を出て会社に行きます。この夏まで土曜も出勤してたけど疲れが出て、9月から土日休みにした。休日でもじっとしておれず、視察気分で他のスーパーに行って買い物をします。週末休むと月曜は元気です(笑い)。
三重県の津に生まれて、戦時中は陸軍に召集されたけど何とか生き延びた。戦後の闇市で物を売るのには苦労しました。日本中が飢えていた時代、除隊時に渡された現金を元手にコメや魚を買いつけ、大阪の闇市で売ってお金を貯めました。
仕入れの時警察に囲まれ困っているところを、農家の方に助けてもらったこともある。1950年に朝鮮戦争が始まると「これで日本が変わる」と裸一貫で上京し、占領軍の物資を買い、夜行列車で毎晩大阪に運んだ。“ひとり総合商社”でしたよ。