映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、約50年前、劇団俳優としてスタートしテレビドラマで活躍し始めた山本學が、役者としての歩みをスタートさせた時代について語った言葉からお届けする。
* * *
山本學は1955年に俳優座養成所に入所、役者としての歩みをスタートさせている。
「僕は役者になる気はなくて、舞台装置をやりたかったんです。ちょうど東野英治郎さんの息子さんが弟の友達で、東野さんに相談しました。『舞台装置は仕事として成り立つものですか?』と。東野さんは『飯は食えないよ』と言うんで『それは分かっています』と答えました。
すると今度は『芝居を知っているか? 演劇部じゃないのか』と聞かれましたが、僕は生物部と歴史研究会だったんですよね。『それで芝居をやろうなんてのは駄目だよ。芝居を分からないと何もできない。まずは養成所に入れ』と受けることを勧められました。
そこから慌てて本を読んだりするようになりましたが、唯一の頼りは東野さんの『俺が試験官で座っているんだから大丈夫だ』というお言葉でした。
ですから、最初は役者の勉強は全くしていませんでした。同級生に田中邦衛さんや露口茂君がいて、彼らのエチュードを見て、『よくあんなことができるな』と思いました。見ることだけは見てきたんですよね。ですから、見よう見まねです。
その頃はサンドイッチマンや新聞のかけとりのバイトをする一方でテレビドラマの仕事も来ていましたが、テレビの方が実入りがいいんですよね。それで『役者の勉強を少ししなきゃ駄目かな』と考えて、三年の養成期間が終わった時に『月謝を払うからもう一年残してほしい』と養成所に頼んだんですよ」
その後は劇団新人会に入った後、さまざまな舞台やテレビドラマに出演するようになる。