奈良・吉野山は古くから日本一の桜の名所として知られてきた。その3万本以上のすべての桜を買い占めた男がいた。“山林王”と呼ばれた土倉庄三郎(どくら・しょうざぶろう)である。
「庄三郎は林業で貯えた財力で、近代日本を動かしたパトロンなんです」
そう語るのは、評伝『樹喜王 土倉庄三郎』の著者で、森林ジャーナリストの田中淳夫さんである。
土倉家は奈良県の吉野川源流にある川上村で代々林業を営んできた一族だ。1840年に生まれた庄三郎が土倉家の家業を任されたのは16歳の頃。大山主である土倉家が所有した吉野の山林は最盛期で9000ヘクタール。日本全国だけでなく、台湾で植林した山を含めると2万3000ヘクタールに及んだ。現在の大阪市がすっぽり収まるほどの広大な土地である。ここから伐り出された木々は吉野川を下り、日本全国に運ばれた。
「とはいえ、吉野山の桜を自分のものにしたわけではありません」と田中さんは続ける。
庄三郎が、吉野山の桜を買ったのは明治の初め。薪の材料となる桜を買い取りたいとやってきた大阪の商人に、住民たちは桜を売ってしまう。けれども事情を知った庄三郎は「いつか外国人が吉野山に桜を見にくることもあるだろう。その日まで桜を守らなければならない」と語って自らの金で桜を買い戻した。先見の明である。
「庄三郎は、常に社会や公共を第一に考えた人物でした。『全財産を3つに分けて、国と教育と家業に使う』と語り、実践したんです」(田中さん)
自由民権運動に賛同した庄三郎は、運動を主導した板垣退助と後藤象二郎にヨーロッパ渡航費を工面している。「自由民権運動の台所は大和にあり」と言われるほど大阪の日本立憲政党に多額の援助を繰り返した。