12月10日、富山市民プラザで開催された「西村雅彦コミュニケーションwith富山 芝居を創る4」。約1か月の練習を経て、小学生から80歳まで男女40人の市民が初舞台を踏んだ。ほぼ全員が演劇の経験はない。
総合プロデューサーを務めたのは西村雅彦(56)。5年前から、石川、富山、千葉、福岡など、各地で初心者が参加する芝居やラジオドラマといったワークショップを開催している。
いまやテレビドラマに映画にと引っ張りだこの西村だが、意外にも俳優を志したのは遅く、20歳を過ぎてからだった。
高校卒業後、大学進学のため上京するも、都会に馴染めず一度は富山へ帰郷。専門学校でカメラを学び、カメラアシスタントなどのバイトを転々とし、目標を見失った時期もあった。西村は当時の自身を「シャイで人と話すのが苦手」と振り返る。
「みんながわっと盛り上がっているときに、一人離れたところで見ているような、ひねくれ者でしたね。このままじゃいけないと思うけれど、何をすべきかわからない。カメラ一つで世界各地を回り、死んだらそれまでだと思ったけど、そんな勇気もなかった……ね~(笑い)」
そういって、おどけた表情でカメラを覗き込む。ならば苦手なことをやろうと、地元のアマチュア劇団の門を叩いたのは23歳の時。初舞台は三島由紀夫の「卒塔婆小町」だった。
「主役の青年将校を演じました。もう、必死です。けれど、本番では体も声も震えて、今回の参加者より間違いなく下手。終わった後は恥ずかしくて、出なければよかったと後悔の嵐でした。
すると団長が、『ニシ、演技は駄目だったけど、よく頑張ったね』と声をかけてくださったんです。これまでにない嬉しい言葉でした。あの時、役者として、初めて人に背中を押してもらったんです」
自信を取り戻した西村は、すぐに上京し、劇団「文化座」に入ると、脚本家・三谷幸喜主宰の劇団「東京サンシャインボーイズ」で人気を博した。その後、テレビドラマ『古畑任三郎』で大ブレイクを果たす。