最近はめっきり報道されることが少なくなったが、IS(イスラム国)による世界の混乱は、いまも続いている。シリアやイラク、クルド自治区への医療支援をしているJIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)代表もつとめている鎌田實医師が、クルド自治区の難民キャンプを支援のために訪れたときの体験を報告する。
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クルド自治区であるアルビルは、イラクのなかでも比較的治安がいい。だが、3か月前、モスルを過激派組織ISから奪還するための攻撃が始まってから、アルビルにも混乱の波が押し寄せている。
モスルは、2014年からISに支配されていた。かつては人口150万人が暮らすイラク第二の都市だった。そこを奪還するため、イラク政府軍とクルド自治政府軍、シーア派民兵、アメリカを中心にした有志連合の空爆が一体となって攻撃し、じわじわとISを追い詰めている。それに伴い、モスルから避難してきた人たちがアルビルにもあふれているのだ。
ぼくは2016年の年末、難民キャンプや病気の子どもたちの支援のため、アルビルを訪ねた。
ぼくが代表をしているJIM-NETが支援してきたがん専門病院のナナカリ病院にも、モスルから来た小児がんや白血病の子どもたちが続々と集まっていた。患者数が40%も増え、病院のキャパを超えた。病室に行くと、ベッドが足りず、子どもがベンチに座らされていたりする。日本ではとても考えられない光景が目の前に広がっていた。
薬も足りていない。イラクでは基本的な医療費は無料だが、病院に薬がない場合は、家族が町で薬を調達しないとならない。抗がん剤は高価であり、品薄で手に入らないものもある。薬がないと、当然、まっとうな治療はできない。せっかくモスルから逃れてきたのに、どうすることもできない。
「生きた心地がしない」と、避難民たちが口々に言うモスルでの生活はどんなだったのか。モスルから来た患者家族に話を聞くことができた。
ある小児がんの子どもは、モスルでは有名なイブンアシール病院で治療を受けていた。ISに制圧されたばかりのころは、そこそこの治療を受けることができたが、次第に薬の供給が滞るようになった。抗がん剤の多剤併用療法をしたくても、すべての抗がん剤がそろわない。モスルにとどまったドクターたちが少ない薬で、必死に治療を続けてくれたという。