羽織袴や黒いスーツを着た男たちがずらりと並び、僧侶たちの読経の声がごうごうと響く。壮大な葬儀の祭壇に飾られるのは、志半ばで凶弾に倒れたある男(松方弘樹)の遺影だ。さぞ無念だっただろうと、男の友人(菅原文太)は祭壇に向かって“追悼”のピストルを撃つ──。キネマ旬報が「日本映画史上ベストテン」で第5位に選出する名作映画『仁義なき戦い』(1973年)のラストシーンだ。生き急ぐ男の揺れる心情を体現した松方さんの演技は出色で、この作品で一気に名優の仲間入りを果たす。
俳優の松方弘樹さんが1月21日、脳リンパ腫のため入院先の都内の大学病院で亡くなった。74才だった。しかし、『仁義なき戦い』のラストシーンのように、松方さんのために豪壮な葬儀が執り行われることはなかった。友人たちのほとんどは、その悲報をニュースで知り、お別れを告げる機会もなかった。
松方さんの最期を看取ったのは、長年一緒に暮らしてきた女性。葬儀は彼女がひとりで取り仕切り、ひっそり行われたという。その女性とは、女優の山本万里子(45才)だ。松方さんにとっては30才年下の「愛人」である。
時代劇スターの近衛十四郎と女優の水川八重子の間に長男として生まれた松方さんは、高校3年の時に東映入り。『十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ』でいきなり主演デビューし、前出の『仁義なき戦い』といった任侠ものや『柳生一族の陰謀』などの大型時代劇で活躍。その一方で、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』などのバラエティー番組ではコミカルな一面で人気を呼んだ。
豪気な「昭和の大スター」だけあって、女性関係も華やかだった。1968年に元モデルの女性と結婚して3人の子供をもうけたが、NHK大河ドラマ『勝海舟』(1974年)で共演した女優の仁科亜季子(63才)と恋仲になり、再婚。タレントの仁科克基(34才)と仁科仁美(32才)の2人の子供に恵まれた。愛人関係にあった元歌手の千葉マリア(67才)との間にも、認知した子供が1人いる。
そんな松方さんと山本の出会いは、今から25年前の1991年にさかのぼる。
「当時、山本さんは京都・祇園の高級クラブでホステスをしていました。客として訪れた松方さんが山本さんに一目惚れし、口説き落として交際が始まったんです。松方さんは芸能界入りを希望していた山本さんをバックアップ。山本さんは松方さんが出演しているドラマ『遠山の金さん』(テレビ朝日系)や『HOTEL』(TBS系)に出演していました」(ベテラン芸能記者)
交際が始まって7年後の1998年秋、当時、松方さんの妻だった仁科亜季子が本誌・女性セブンに「夫との離婚決意」を赤裸々に告白。山本との不倫交際は一気に世間に知れわたった。
1999年1月に松方さんと仁科との離婚が成立。その騒動の中で、山本は「有名女優から夫を奪った」として、世の女性たちから激しいバッシングを浴びた。それでも山本は雑誌のインタビューに答える形で、仁科に向けてこんな発言をした。