「安楽死で逝きたい」。橋田壽賀子氏が文藝春秋(2016年12月号)で公言して以降、「尊厳ある死」を巡る議論が喧しい。今年83歳を迎える作家・筒井康隆氏はどう考えるか。
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認知症になって家族に迷惑をかけ長く生きるよりは早く死んだ方がいいと望む人は多い筈だ。そして同じ死ぬなら苦痛のない方法でとも望むだろう。そんなことを考える人は当然まだ認知症になっていない。頭のはっきりしている老人が安楽死を求めてもその家族の多くは反対するだろうし、そもそも安楽死は法的に認められていない。つまり病院では安楽死をさせてくれない。
これを自分でやろうとすると安楽死ではなく自殺ということになってしまう。法的には有罪だ。これだと原則、家族に生命保険がおりないのである。まあ、死んでしまえばあとのことはどうでもいいようなものだが、やはり家族が困るようでは可哀想だ。
では、事故死または他殺と見せかけて自殺するというのはどうであろう。誰でも考えることであり、これをメイントリックにしたミステリーはいっぱいある。それに生命保険会社は自殺なのに保険金を取られては損をするから、懸命になって自殺であることを証明しようとする。だから当然のことながらこのてのトリックは先刻ご承知、あらゆるミステリーのトリックを調べ盡している。残念ながら素人考えで成立つようなトリックはすぐに見破られてしまうのである。
最近、老人の運転する車の事故が多発しているが、わざと車で大事故を起して自分も死ぬというのは甚だ迷惑な死にかただ。家族も責められることになり、下手をすれば何人も巻添えにして自分だけ助かったりする。これはもう目も当てられない結果となるからやめた方がよかろう。