この1年、ジャーナリストの宮下洋一氏はスイス、オランダ、ベルギー、アメリカ、スペインを訪ね、その国々の安楽死事情を見てまわった。それは1年前、スイス・バーゼルで旅立ちの現場に立ち会って以来、筆者を揺さぶり続けた「死ぬ自由を認めるべきか否か」という問いへの答えを探す旅だった。連載最終回の今号では、スイスを再訪し、自殺幇助団体「ライフサークル」代表・プライシック氏に、“旅の成果”を報告する。
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スイスで初めて安楽死の現場に立ち会ったことは、私の死生観を一変させる「悲劇」だった。老婦が旅立つ前日に語った言葉が脳裏に焼き付いている。
「もし私が満足のいく人生を送ってこなかったら、多分、もう少し長生きしようと思うかもしれないけれど。せっかく良き人生だったものが、身体の衰弱で失われる。それだけは避けたいの」
あれから、1年が経つ。私は、この間、各国の現場を訪ねてきた。安楽死を知ることはその人の死生観を知ることであり、そこには各国の価値観が色濃く反映されていた。ただし、取材を重ねるなか、一つの疑問も生まれた。医師が法律によって免責されているからといって、その医師が安楽死の条件が揃っている患者の息の根を止める資格はあるのか。
1年前、女医は、こう言った。「私の考えをあなたに押し付けるつもりはない。いろんな人を取材し、さまざまな考えに触れなさい」と。旅を締めくくるため、私は、2016年12月7日、スイスのプライシック女医のもとに再び足を運ぶことにした。そしてこの地で、また1人、死を求める全身麻痺のドイツ人女性に会うことが約束されていた。
早朝7時、気温マイナス5℃で、濃霧が立ち込めるバーゼル市内の喫茶店で熱いコーヒーを飲み終え、女医が住む郊外に向かう路面電車に乗った。女医は、数日前にスキーで滑落し、車を運転できないとのこと。私は、記憶をたどって、彼女の自宅まで歩いてみた。
「ヨーイチ、久しぶりね!」
松葉杖をついて歩く女医は、いつものように私を笑顔で歓待した。朝から多忙を極める彼女は、早速、私を仕事場まで連れて行く。聞けば、この1年で80人に自殺幇助を施したという。
「実は、あなたに話していた患者だけど、診察の間もずっと泣いていたわ。とりあえず、彼女のいるホテルに行って話だけはしてみてください」