【著者に訊け】夢枕獏氏/『ヤマンタカ 大菩薩峠血風録』/KADOKAWA/1800円+税
初出は大正2年の都新聞。以来媒体を移しつつも書き継がれ、何度か映画化もされた中里介山の未完の大作『大菩薩峠』を、夢枕獏氏も全巻読み通せずに挫折した一人だという。
「とにかく有名な小説だし、何度か挑戦はしたんだけど、机竜之助が大菩薩峠で老巡礼を斬った理由もよくわからないままだし、ぼくがおもしろかったのは、一巻目の御嶽神社の奉納試合まで。で、そこまでをリメイクしようと」(夢枕氏、以下「」内同)
ヤマンタカとは、〈梵名。仏教の忿怒尊(ふんぬそん)〉〈閻魔を屠る者〉とあり、チベットでは文殊菩薩の化身を示すとか。本作では〈音無しの構え〉の名手・机竜之助らが顔を揃えた御嶽神社の奉納試合の顛末が新解釈で描かれ、原作では脇役だった土方歳三もこれに出場、今一人の主役を務めるのも見物だ。
元祖・動機なき殺人ともいうべき竜之助の凶行や、最も強い男に身を委ねようとする美女・お浜や土方を絡めた三角関係など、理屈では到底割り切れない人間の欲望や本能を巡る光景を平成の今、新たに描き直した夢枕氏。その意図とは?
今でこそ血なまぐさい惨殺シーンやお色気の類は自粛に追い込まれがちだが、かつてエロスとバイオレンスはエンタメの王道だった。
「正確には西村寿行さんや大藪春彦さんが活躍された約30年前、強くて魅力的なキャラクターのファイトとエロスを伝奇小説に結合させたのが僕や菊地秀行さんなんです。現代だと刀は使えないから中国拳法を取り入れたり、従来にない肉弾戦や剣豪物の進化形を模索した。今回もまだ誰も読んだことのない剣の闘いを書きたかったんですね」
夢枕作品には時に十分すぎるほどの後書きがつくが、本書執筆の背景にはスタジオジブリ・鈴木敏夫氏とのこんな会話があったという。〈獏さん、机竜之助は、民衆なんですよ〉〈えーっ!?〉
「時あたかも3.11の翌年、震災後の世界とどうおりあいをつけてゆくか悩んでいる時に、鈴木さんの言葉に出会って、『机竜之助は怒れる民衆そのものだ』と思い込んじゃったんですね。
確かに幕末の世に流され続けた弱者と言えなくもないこの怪物に、我々の形にならない怒りや不安を背負わせたら、全く新しい剣豪小説が書けるかもしれないと思って書き始めたんです。今のトランプ現象を見ていても、やはり民衆には怒りを仮託する対象が、必要なんでしょう」