この主張は大きな反響を呼んだ。作家の筒井康隆氏が「日本でも早く安楽死法を通してもらうしかない」(『SAPIO』2017年2月号)と賛同したのに対し、スピリチュアルカウンセラーの江原啓之氏は「安楽死をしたいなんて言ってはいけません」(『女性セブン』2017年1月1日号)と反論するなど、賛否両論入り乱れた大激論となっている。
終末期医療の専門家で日本尊厳死協会副理事長を務める長尾和宏医師は言う。
「そもそも安楽死については、定義すら理解せずにその言葉を使っている人が多い。しかし、こうした議論がなされること自体、かつてなら考えられなかったことです。どのように死ぬかは、どのように生きるかと同じぐらい大事なこと。これを機に安楽死や尊厳死について正確な理解を広げていく必要があります」
日本では、「少しでも長く生きたい」という高齢者の願望を叶えるために、医者も家族も行政も、一丸となって取り組んできた。どれだけ長く生きるかを求めるなかで、「死の自由」を認めることになりかねない安楽死の議論はタブーとならざるを得なかったのだ。
しかし、それを避けたまま10年、20年の月日が過ぎたらどうなるか。安楽死に関する制度も、哲学も、知識も持たぬまま、多くの人々が「安らかに、楽に死にたい」という希望を表明すれば、「死に方が分からなくて彷徨う老人」があふれかえる事態にもなりかねない。
安楽死について知ることは、自らの「逝き方」について考える、大きな第一歩となる。
※週刊ポスト2017年2月17日号