安倍晋三首相はトランプ大統領との首脳会談に浮き足立っているが、忘れてはいけない。歴戦後70年余り、日米首脳会談は非礼な要求が繰り返される「屈辱の歴史」だった。
安倍首相にとって今回のトランプとの会談が“落とし穴”になりかねないのは、過去、長期政権を誇り、しかも親米派と目された首相ほど米国に要求を呑まされてきた歴史があることだ。
日本の首相の中で初めて米国大統領と「対等」の外交交渉を行なったと(日本国内で)評価されたのが中曽根康弘首相だ。
中曽根は就任直後の1983年1月に訪米すると、「日米は運命共同体」、「(日本列島は)不沈空母のように強力に防衛する」などの発言で米国の関心を引き、日米首脳会談ではレーガン大統領と「ロン・ヤス」とファーストネームで呼び合った。
しかし、首脳同士の蜜月関係が日本に経済的利益をもたらすわけではない。
ロン・ヤス時代、財政赤字と貿易赤字の「双子の赤字」に苦しむ米国は、為替政策の大転換に踏み切る。1985年9月、ドル危機を防ぐために円高・ドル安の政策協調を決定した(プラザ合意)。中曽根政権はこれを飲まされ、円はそれまでの1ドル=240円台からわずか3年で1ドル=120円台へとハネ上がり、その後の超円高時代をもたらした。
トランプは、「日本は為替を操作して通貨安に誘導している」と批判しており、エコノミストの中には「トランプは第2のプラザ合意を日本に迫ってくるのではないか」という警戒感が広がっている。
日米繊維摩擦が激化した佐藤政権時代も現在と似ている。佐藤栄作首相は1969年のニクソン大統領との首脳会談で沖縄返還で合意した。外交的には大きな成果だが、この“取引”は「糸と縄を交換した」とも評された。