野党第一党・民進党が「皇室典範」改正を訴えるのは、天皇のお気持ちに寄り添った結果なのか。それとも失地回復の挽回策に過ぎないのか。評論家・古谷経衡氏が同党がこれまでに発してきたスローガンやマニフェストの系譜を遡ることで、その核心に迫った。
* * *
いわゆる生前退位問題で、民進党の鼻息が荒い。昨年12月、同党の「皇位検討委員会」では、「特例法ではなく皇室典範を改正すべし」の中間報告で一致した。中でも同委員である野田佳彦同党幹事長はこの急先鋒であり、「皇室典範を改正した方が陛下や国民の思いに合致するのではないか」(2017年1月19日・朝日)としたうえで、女性宮家創設にも積極的である。
現代表蓮舫は昨年の代表選挙の際「陛下のお気持ちを我々立法府が考えることがなかったのか、猛省しないといけない。皇室典範の改正を行うべき」(2016年9月3日・朝日)と表明、殊勝なことに民進党の「重鎮たち」はすわ「尊皇家」ともいうべき姿勢で、自民党の特例法よりも皇室典範そのものを改正するべし、の見解で一致しているように思える。「陛下のご意思」を錦の御旗にすれば、確かに自民党よりも民進党の方が「大御心」に近い、とも言える。しかしその姿勢に二心は無いと言い切れるか。
民進党と皇室を巡る系譜を、民主党時代から遡って追いかけてみたい。皇室典範の改正が急速に政治課題として浮上したのは、2001年の小泉内閣時代であることは周知のとおりである。小泉内閣時代の有識者会議は「女性」「女系」天皇の容認も含む内容だったが、秋篠宮妃紀子様のご懐妊(悠仁様誕生)を受けて沙汰止みになった。この時、民主党党首は鳩山由紀夫。鳩山も「女性の皇位継承」には賛同の立場で、自・民にこの問題についての差異はほとんどない。
民主党がはっきりと「皇室典範改正」を謳ったのは2004年参院選挙のマニフェストである。ここには「未来へ向かう創憲」と題して、「“日本国の象徴”にふさわしい開かれた皇室の実現へ、皇室典範を改正し、女性の皇位継承を可能とします」と明記されている。この時の代表は岡田克也である。
この選挙で民主党は、公示前改選議席38議席から12を増やして50と躍進。逆に自民党は1議席を減らした。全国比例では自民党約1700万票に対して、民主党約2100万票と逆転した。2001年参院選の全国比例獲得票900万票からの倍増以上の大躍進だった。いま考えればこの選挙は、2009年鳩山内閣誕生時と同様、「民主党の最盛期」と捉えられよう。
この2004年参院選の「輝かしい戦果」を民主党は「女性による支持」つまり「女性票」の奏功であると判断したようだ。実際にこの選挙で女性有権者からの票は強く出たといわれる。続く2005年の衆院選挙時のマニフェスト(代表岡田)でも、民主党は「憲法」の項目にまったく同じ文句を入れ込んでいる。つまり「皇室典範改正と女性の皇位継承」を打ち出すことにより、2004年選挙と同様の女性票掘り起こしを期待したわけだ。
ところが2007年の参院選挙における同党マニフェストからは「皇室典範の改正」の文言は一切消滅している。この時の代表は小沢一郎。前述悠仁様誕生を受けて典範改正機運が萎んだこと、なにより2年連続で「皇室典範改正」を掲げた2005年衆院選挙で、民主党は「小泉旋風」に埋没し、公示前議席を64減らして113議席にとどまる大敗北を喫したことであろう。