肌寒い曇り空の東京の街を、別役実さんはそろり、そろりと歩く。右手に杖をつき、黒いダウンジャケットに毛糸の帽子という姿。今年80歳を迎える長身の老劇作家の風貌には、どこか人を引き付けずにはいられない深い魅力があった。
指定された京王井の頭線沿いのファミリーレストランに着くと、彼は一杯のコーヒーを注文し、それを美味そうに啜る。それから、静かな声でこんな近況を話した。
「昨年は二度ほど、ショートステイで老人ホームに入ったんです。今の施設の設備は素晴らしい。スタッフも訓練が良く行き届き、大変に親切で食事もそれなりに美味いんです。しかし、僕は何とも言えない圧迫感、閉塞感を覚えましてねェ」
──それはどのような圧迫感ですか。
「考えてみると老人ホームというのは、本質的に高齢者が最後に入る家であるわけです。スタッフは『長生きしてください』とおそらく本心から声をかけてくれているけれど、現実にはそこは人が無事に死ぬための装置でもある。
そのシステムの中で過ごしていると、僕は『あなたはここで死ぬのですよ』と暗に言われている気がしたんです。『ここであなたは死ぬのだ』という構造の中に溢れる『長生きしてください』というヒューマニズム。その矛盾めいた状況に居心地の悪さを感じたんです」
別役実さんは日本における「不条理演劇」の第一人者と呼ばれる。1937年、満州に生まれた彼は、終戦後に日本へ引き揚げた後、早稲田大学の政治経済学部に入学。学生時代に劇団「自由舞台」に参加して演劇の世界と出会った。
大学を中退後、「東京土建一般労組」という建築業の職人の組合組織に就職。仕事が終わると都内の喫茶店を転々として戯曲を書き続けた。
「あの頃、僕が戯曲を書いている喫茶店は潰れる、なんてよく言われたものです」
そう言って目を細め、「ふっふっふ」と笑う。