映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、役者デビューからまもなかったころの本田博太郎が、岡本喜八監督に出会い、作品に出演した思い出について語った言葉をお届けする。
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本田博太郎は1979年の映画『英霊たちの応援歌 最後の早慶戦』で岡本喜八監督作品に初めて出演している。
「『近松心中物語』をやっていた帝国劇場の支配人が喜八監督の奥様・みね子さんと友達だったんです。それで『学徒出陣の生徒役を探しているから、誰か面白いコはいない?』ということで、俺が推薦されたんです。そしたらみね子さんが『監督に会わせる』ということで、生田の監督の家に連れていかれて。その時に監督から『今日は電車で来たの?』と聞かれたんで『僕はいつも電車です』と答えたら『決まり。オッケー』。
後で知ったんですが、監督は電車の中で気づいたことをメモするような、人間観察がちゃんとできる人が好きだそうです。あの時にあの若さで『マネージャーの車で来ました』などと言ってたらダメだったと思う。
喜八組の初めての現場は緊張もありましたが、嬉しさのほうが先に立ちました。『ヨーイ、スタート』の掛け声、ファッション、人となり……全てに憧れるようなカッコよさがありました。現場では迷わないし、大声を出さないし、優しい。すっかりファンになっちゃいました。監督の黒ずくめのファッションは今でも真似してますし、我が家の勉強机には喜八監督の顔写真が貼ってあります。
とにかく監督に喜んでもらえる芝居を目一杯にやりました。もしかしたら、作品の中で俺は浮いているかもしれない。でも、監督が喜んでくれるならいいや、というのがあったんですよ」
その後は、岡本喜八作品に立て続けに出演している。