1月25日、「おヒョイさん」の愛称で親しまれた俳優・藤村俊二さんが心不全のため死去した。藤村さんは振付師として活動したのち、ドラマやバラエティーなどで俳優やタレントして幅広く活躍。体調不良で、2015年10月に担当していた『ぶらり途中下車の旅』(日本テレビ系)のナレーションを降り、療養生活を送っていた。
交友関係の広い藤村さんは、同じ昭和9年(1934年)生まれの長門裕之さん、愛川欽也さん、大橋巨泉さん、坂上二郎さんらとともに、「昭和九年会」を結成。藤村さんの経営する南青山のワインバー「O’hyoi’s」(おひょいず)で例会が開かれていた。
昨年7月に大橋巨泉さんが急性呼吸不全で亡くなった際には、「また一人、大切な仲間が天国に行ってしまって寂しい限りです」と、仲間の死を悼んでいる。
その藤村さんを「僕が一番尊敬する芸能人です」と公言しているのが、萩本欽一(75才)だ。二人は1975年にクイズバラエティー番組『ぴったし カン・カン』(TBS系)の共演で出会い、40年以上の付き合いがあったという。
自らの交友録を書いた『運が開ける【欽言録】』(徳間書店)で、藤村さんについてこう語っている。
《最初に会った頃、おヒョイさんは、ふわふわとした軽い感じで、口癖は「ぼくちゃん、お仕事、嫌い」、「ぼくちゃん、考える事、ダメ。一生懸命やる事、もっとダメ」でした。
(中略)
ところが、80年に『欽ちゃんのちゃーんと考えてみてね!!』(日本テレビ系)という番組を一緒にやり、おヒョイさんを見直してしまいました。
長~いセリフが多いんです。それなのにおヒョイさんは全然間違えずに、ビシッとやります。
「ぼくちゃん、ダメ」と言いながら、セリフを間違えたら本当にダメな人ですが、おヒョイさん、「ぼくちゃん、ダメ」って言いながら、全然NGを出さないんです。》(萩本欽一『運が開ける【欽言録】』より)
1980年に萩本が一緒にニューヨークに行った時は、日本では全く英語を使わない藤村さんが英語をペラペラ話したことに驚いたという。ホテルのチェックインから土産店の場所までガイドしてくれ、ブロードウェーの舞台では「これはこういうお芝居なの」と全部、説明してくれたそうだ。
それでも日本に帰ると、「僕は英語なんて知りません」という顔で、相変わらず、ひょうひょうとしていたという藤村さんは、実はエリートだった。
芸能関係者が語る。