今年始めに89歳になった池田大作氏が創価学会第三代会長に就任したのは、32歳の時。高度成長まっただ中の1960年だった。以来、“カリスマ”として50年以上にわたり学会を牽引した池田氏は、学会と日本社会にどんな役割を果たしたのか。社会学者の玉野和志氏(首都大学東京・教授)が考察する。
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私は池田大作氏とは直接会ったことはありませんが、宗教家というより“模範的な信徒”であることが、会員の話や文献からわかります。
池田氏が婦人部から絶大な人気があるのは、活動を視察する際によく「絶対幸せになろうね」などと声をかけるから。その姿は、他の会員からすると“諦めないで頑張る人は見放さない”という学会の考え方を一番理解し、目標となる存在として認識されるのです。
まだ池田氏が公の場に姿を現していた頃は、創価大学出身のエリート幹部たちを、会員たちが見ている場で「お前が偉いんじゃなくて、会員が偉いんだよ」と批判していました。
これは、ある程度社会的に上昇した会員を中心とした組織となった学会が、まだ上昇しきれていない会員に向けて「見捨てることはしない」と示すためのものでした。
また池田氏は「声が大きい」「体が大きい」という理由で会員を抜擢することも多かったと聞きます。これも、「頭の良さ」や「学歴」と「声の大きさ」や「体の大きさ」を同様に評価することで、指導者として、組織の基盤はあくまでも庶民であり、「人間主義」という理念が失われていないことを証明していたのでしょう。