天皇は何と戦っているのか。その答えは、「天皇観」を巡る戦後日本の歩みに隠されていた。このたび、『近代天皇論』(島薗進氏との共著)を上梓した思想史研究者・片山杜秀氏が譲位論争の本質を綴る。
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人間天皇と象徴天皇。2つのイメージが、戦後日本における天皇のありようを定めてきたと思う。だが、この2つはいつも調和するとは限らない。そして今、調和はほころんできているようにも思える。
まず人間天皇とは何か。敗戦から半年も経たない1946年の元日、昭和天皇が詔を出した。天皇は「神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ」。
世に言う「人間宣言」である。それまでの天皇は現人神とイメージされていた。国土を創造した神々の直系の子孫。だから尊いとされた。ところが昭和天皇は、天皇とは一個の人間にすぎないと宣言した。
すると、神でなくなった人間が今後もどうして天皇でいられるのか。昭和天皇は述べた。「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ」るのだと。神でなく人間として国民から信頼を勝ち得るよう励み続ける。それでこそ天皇は人間天皇になれる。
昭和天皇はそう宣言しただけではなかった。実践した。敗戦直後の騒然とした日本全国を回った。サラリーマンのような背広姿で。そうして戦後復興に苦労する国民をねぎらった。帽子を振り、手を振った。
天皇陛下が国民と共感共苦しようと粉骨砕身されている! 多くの国民が昭和天皇を一個の人間として信頼し敬愛した。そうやって人間天皇という新しい建て前に魂が入った。その後も大相撲にプロ野球、オリンピックに万国博覧会、正月や誕生日の一般参賀。昭和天皇は国民の前になるべく多く姿を現した。全身全霊の立ち居振る舞いで、努めに努めた。