手の届かない憧れの銀幕スターといつも一緒にいたい──。そうしたファンの願望を満たすアイテムとして、戦後の映画隆盛とともにプロマイドの人気も高まった。ファンの気持ちを第一に考えるマルベル堂には、撮影3大原則があった。
「プロマイドの中のスターたちが、ファンを見つめて微笑みかけていることが大切なんです。そのため正面から陰影のないようにライトを当てる『ベタ光線』を使い、『カメラ目線で笑顔』をお願いし、『手のポーズ』をつけてもらいました」(同社6代目カメラマンで店長の武田仁氏)
昭和34年に松竹の『朝を呼ぶ口笛』で映画デビューを果たした吉永小百合は、年間売れ行き1位を2度獲得。2012年に、プロマイドを集めた写真集を発売するほど、本人もファンもマルベル堂の撮影スタイルを気に入っていた。昭和42年に女優部門で1位に輝いたのは“日活三人娘”の一人である松原智恵子だった。清純派の彼女がつぶらな瞳で見詰める視線に、ファンは卒倒しそうになった。
「なけなしのお小遣いで購入した学生は手帳に挟み込み、大切に保存したそうです」(武田氏)
撮影には時代の流行も取り入れた。昭和33年、皇太子と美智子さまが御結婚され、縁結びとなったテニスがブームとなった。すると、若尾文子や雪村いづみ、池内淳子、中村玉緒などの銀幕スターたちも、プロマイドの中でラケットを手に持った。雪代敬子はセーラー服におさげ髪でラケットを持ち、木にもたれ掛かるショットを撮っている。
歴代最多となる1488種類ものプロマイドを撮影したのは、昭和の大スターである美空ひばりだ。昭和24年、11歳で大映映画『のど自慢狂時代』でデビューして以来、25年間ほど撮影に臨んでいた。
「パスポート用の写真を弊社でお受けしたこともあるほど、信頼関係を築かせていただきました。セーラー服姿や横浜の自宅にあるプールで水着姿も撮らせてもらったそうです」(武田氏)
マルベル堂のプロマイドは絶大な支持を受け、その売れ行きは昭和35年には戦前の5倍にまで伸びた。当時を懐かしんでか、芦川いづみや西恵子が近年、プライベートで店を訪れたこともあったという。
「すごく緊張して、何を話したか覚えてないほど。サインは店に大事に飾っています」(武田氏)
取材・文■岡野誠 プロマイド写真■(c)マルベル堂
※週刊ポスト2017年2月27日号