今後日本で行われる大きなスポーツイベントといえば、2020年の東京五輪が真っ先に挙げられるが、その前年にはラグビーのワールドカップ(W杯)も日本で開催される。前回のイングランド大会で、日本代表が強豪の南アフリカから劇的勝利を収め、“五郎丸フィーバー”に沸いたのは記憶に新しいところだ。
そこで、日本ラグビー界の「レジェンド」として知られる元日本代表の松尾雄治氏(63)に、W杯への期待や、昨年53歳の若さで急死した戦友・平尾誠二氏との思い出、自ら経営するダイニングバーでの幅広い交友録などを聞いた。
* * *
──いよいよ日本開催のラグビーW杯まで1000日を切りましたが、どんな心境ですか。
松尾:日本でラグビーのワールドカップが行われるなんて大変な機会だから、やっぱり良い大会にしてほしいというのが本音だよ。
ただ、ラグビーはルールがどんどん変わるし、国と国との戦いが楽しみなワールドカップだけに、日本代表に外国人選手を何人入れるのかという問題もあるでしょ。どうしても体格のいい外国人をたくさん入れたほうが強いんだから。
──とはいえ、日本チームが快挙を成し遂げた前回のW杯では、小柄な田中史朗選手が巨体の選手に果敢にタックルしに行くなどガッツ溢れるプレーで、多くの感動を呼びました。
松尾:日本人の諦めない気持ち、粘り強いプレーが観客にも伝わったよね。本来、ラグビーの応援は、どこの国に行っても勝ち負けの問題ではなく、好プレーが出たら、例え相手チームの選手でも惜しみない拍手を送り、怠慢なプレーに対しては全員がブーイングするもの。
でも、いまの時代はどうしても勝ち負けの結果がすべてでしょ。マスコミの盛り上げ方にも問題があるんじゃないかな。
──日本大会では、全国12会場の中に東日本大震災で被害を受けた岩手・釜石市のスタジアムも選ばれました。現役時代、新日鉄釜石で長らくプレーしてきた松尾さんにとっても、感慨深いのでは?
松尾:釜石には9年もいて、第二の故郷みたいなもんだからね。震災後も新日鉄ラグビー部のOBらで被災地支援の「スクラム釜石」を結成して、チャリティートークショーには、大畑(大介)君やマコーミック、平尾(誠二)なんかも来てくれたんだ。
少しでも地元の人たちを元気づけたいと思ってきたから、ワールドカップの開催で、さらに復興に弾みがつけばいいなと、心から願っていますよ。
──松尾さんとともに1980年代の黄金期を支えた平尾さんが突然亡くなり、W杯を控える日本のラグビー界にとっては大きな損失となりました。
松尾:今でこそラグビーにもプロの道が開けて活躍する選手も出てきたけど、昔から日本のラグビー界は閉鎖的なところがあって、「ラグビーは大学まででいいんじゃないか」と話す人がいたぐらい。それじゃ、野球やサッカーのように子供たちに夢や希望を与えるスポーツにはならないよね。もちろん、お金を稼ぐことだけがすべてじゃないけど。
そんな中で、平尾は協会側に入って、内部からラグビー界を変えていこうと頑張っていたし、僕は外で暴れ回っていろんな情報発信をしながら、時には平尾に教えたりもした。そうやって「お互いに役割分担をしてラグビー界を盛り上げよう」という暗黙の了解ができていたんだ。だから、彼を失って本当に残念でならないよ。