1998年11月、川崎協同病院で呼吸器内科部長(当時)を務めていた当時48歳の須田セツ子医師は、気管支喘息の重積発作で心肺停止状態になった患者から、気道を確保するための気管内チューブを外した。すると、患者が上体をのけぞらせて苦しみだしたため、鎮静剤と筋弛緩剤を投与したところ、患者は息を引き取った。
事件化したのは、それから3年後の2001年のことだった。同病院の麻酔科医の内部告発により発覚し、遺族が“抜管に関して家族の同意はなかった”と訴えたのである。殺人罪で起訴された須田医師は、2007年2月の東京高裁判決で、懲役1年6か月、執行猶予3年の判決を下され、2009年12月に最高裁が上告を棄却したことで、殺人罪が確定した。
上告が棄却され、殺人罪が確定すると、須田医師には2011年10月から2年間の医業停止という行政処分が執行された。川崎協同病院を2002年に退職後、医業停止期間を除いて、現在まで横浜市にある大倉山診療所の院長を務めている。
彼女が今もなお医療現場の最前線に立ち続ける理由──そこには罪に問われてなお、延命治療をめぐる現状に疑問を持ち、自らの行為は殺人ではなかったという思いがある。診療所には、須田医師を“殺人を犯した医師”として忌避することのない患者たちが通い、取材時も待合室に待機する人々の姿が見えた。
「いまも年間10人以上、在宅でのお看取りをしています。その患者さんたちに対しては、誤解を生むような言い方かもしれませんが、あまり深く考えず、ご本人やご家族がどう感じているかを優先しています。
その上で、看護師さんやケアマネージャーも含めて、どこまで治療をするか決める。一切点滴をしたくないという人もいますし、往診もいらないという人もいらっしゃいました。最期の数日間は水だけを飲んで、トイレで枯れるように事切れたという連絡をいただいたこともありました。そういう時は、私は死亡診断書を書きに行くだけですね。昔はみんなそうだったんですよ」