華々しい大企業同士の合併は、規模の追求や互いの強みを活かせる点でメリットが大きいと思われがちだが、伝統や企業風土もまったく違う組織の組み合わせは、かえって弊害を招くこともある。そのことを改めて思い知らされたのが、百貨店最大手「三越伊勢丹ホールディングス」で起きた社長交代劇だ。
もともと三越と伊勢丹という日本を代表する老舗百貨店が経営統合を決めたのは、今から9年前の2008年のこと。当時の百貨店業界は「ユニクロ」をはじめとする低価格ファッションや家電量販店など専門店の台頭により、構造不況に歯止めがかからずにいた。
そんな中、上席役員を飛び越して2009年より新生「三越伊勢丹」の舵取り役(2012年よりホールディングス社長も兼務)に指名されたのが、当時54歳と若い大西洋氏だった。
「大西氏は慶応大卒で伊勢丹入社後、新宿本店の紳士服部門で商品のバイヤーを務めたり、吉祥寺店の準備室に配属され、百貨店ではなく専門店をつくるミッションを与えられるなど、幅広い職務経験を培ってきた。また、新宿では伊勢丹メンズ館の立ち上げた主要メンバーとしても有名で、そのバランス感覚の良さから社長に抜擢された」(流通アナリスト)
社長就任後も、大西氏が指揮した「百貨店改革」はことごとく好業績に結びつき、いつしか“ミスター百貨店”と呼ばれるまでになった。経済誌『月刊BOSS』編集委員の河野圭祐氏がいう。
「他の百貨店が専門店テナントへの場所貸し業やスーパーマーケットとの協業などを進める一方で、大西氏はあくまで『古き良き百貨店』の追求を掲げてきました。バイヤー自らが地方に行って商品を探したり、地方の優れた素材を使って職人とコラボした商品をつくったりと、自前での商品仕入れにこだわってきたのです」
だが、大西氏の手腕をよそに、現場にずっと燻り続けていたのが、「旧伊勢丹」「旧三越」社員による対立だ。
「経営統合して以降、仕事のやり方はすべて“伊勢丹流”。それはある意味では仕方のないことでしたが、一番の問題は人事面や待遇面での格差です。重要なポジションは伊勢丹出身者で占められるばかりか、同じ仕事をしていても、ひどい時にはボーナスで4倍近くの開きがありました」(三越出身社員)
もちろん、大西氏も伊勢丹出身者ばかりを重用していたわけではない。就任以来、現場のモチベーションを高める「社内融和」策として、各部門で成果に応じた公平な報酬制度を導入。また、「人を減らさない」方針の下、店舗の営業時間を短くして人件費を抑える苦肉の策も取ってきた。すでに出身母体による待遇面の格差も解消されている。
しかし、“笛吹けども踊らず”の現場には、常にもどかしさを感じていたようだ。