産経新聞元ソウル支局長の加藤達也氏は、次期大統領筆頭候補・文在寅(ムンジェイン)氏と何かと縁がある。コラム問題(※注1)で朴政権と法廷闘争を繰り広げていた際、援護射撃をしてくれたのが文氏だったのだ。その正体とは。
【※注1/2014年8月、セウォル号事件の政権対応の不備を、韓国紙の記事などを引用しながら綴った産経コラムが「名誉毀損罪」で起訴される。加藤氏は出国禁止の身のまま1年半も、刑事裁判の法廷に立つ。2015年12月、「無罪」を勝ち取る】
* * *
文在寅氏といえば、第16代大統領の盧武鉉(ノムヒョン)氏との関係を抜きには語れません。文氏は学生時代から民主化運動に携わり、朴正熙(パクチョンヒ)軍事政権下の1975年には投獄されたこともある。
卒業後、司法試験に合格。1982年、既に弁護士の立場から民主化運動に関わっていた盧氏と共同事務所を釜山に開きます。7歳下の文氏への信頼感は相当なもので、のち左派政治家として地歩を固めた盧氏が大統領を目指すにあたって、文氏を釜山地区の選対部長に抜擢しました。
私が韓国に語学留学していた2004年秋から翌春頃は、盧武鉉政権の中盤。国会での弾劾訴追から憲法裁での罷免不可の判断を経た時期で、政権はなんとも慌ただしい雰囲気でした。
盧氏のキャラをひと言で評すれば「お調子者」。時折、国民の関心が高いサプライズ政策を発する。でも、“ホラ”も多いんです。ブレーンたちはその中で実現性があり、盧氏の政治理念に適うものを取捨選択し、実現にむけた実務を担った。だから「側近重用政治」ともいわれます。
その筆頭が大統領府の秘書室長を担った文氏です。秘書といえば裏方の印象がありますが、日本の官房長官のようなものだと考えて下さい。日韓外交に影を落とした悪名高い“親日派財産没収法”(※注2)でも文氏は、法律面から成立に向け尽力しました。
【注2/親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法。2005年制定。日本統治時代に「反民族行為者」とみなされた人間の土地・財産を没収。「法の不遡及の精神」に抵触するとして、批判も多い】
彼は大統領の名代として多くの会食に出席し、財閥や政治家たちと折衝を重ねました。私は彼がよく足を運んでいた料亭スタッフに話を聞いたことがあります。
従業員にも腰が低く、気前よくチップを渡したり、庶民に対する礼儀計らいが徹底していた、と。当時からクリーンなイメージで国民人気も高かった。
盧氏の裏方として汗をかく傍ら、権力者としての欲に目覚めたのでしょう。身内のスキャンダルが発覚し、大統領辞任後に自殺した盧氏の遺志をつぐように、文氏は大統領を目指します。