歴史上の人物について私たちが持つイメージは、往々にして学校で習った内容や、小説やテレビドラマなどで描かれる姿そのものだったりする。一方、歴史研究の世界では新たな史料が発見され、これまでの“常識”が覆ることがある。
「井伊直虎」の場合はどうか。徳川時代、譜代筆頭として代々幕府の重要な役職を担った井伊家。戦国時代には、男性当主が死に絶え滅亡の危機に瀕した。その時、直虎は、女性でありながら家と領地を守り抜き、まだ幼かった24代当主・井伊直政を養育したと伝わる。大河ドラマ放送に伴い「直虎別人男性説」が浮上、大きく報じられた。静岡大学名誉教授の小和田哲男氏が指摘する。
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大河ドラマ放映直前の2016年12月、全国紙などで「直虎別人男性説」が一斉に報じられた。それは井伊家ゆかりの美術品などを保存・展示する井伊美術館館長の井伊達夫氏が発見した『雑秘説写記』という史料によるもの。
その中で、今川氏の家臣で井伊家の目付役として派遣された関口氏経の息子が「井伊次郎」を名乗ったと記されているのだ。男性説は、この史料の「井伊次郎」こそが実は直虎ではなかったか、とする説である。
しかし私は、その新説について懐疑的に見ている。第一に、『雑秘説写記』は江戸時代に書かれた聞き書きの史料であり、いわゆる「二次史料」となるもので信憑性が劣るということ。
また「次郎」は井伊家の惣領が代々名乗る名前のため、井伊家の者が「次郎法師」を名乗っている同時期に、別の家の人物が名乗ることはできないだろう。
仮に関口氏経の息子が井伊次郎を名乗ったとしても、新史料には直虎と名乗ったとの記述はない上、後の井伊直政の擁立について説明がつかなくなる。通説通り、次郎法師=直虎が血の繋がった幼い虎松(後の直政)を養育し、家康に引き会わせて出世させたというプロセスのほうが理解しやすい。