6年目の「3・11」を私たちはどう迎えるべきなのか。東北の被災地を繰り返し訪れている食文化に詳しい編集・ライターの松浦達也氏が提言する。
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「もう、忘れられてるんじゃないですか」
東日本大震災から6年が経った。昨年の3月、つまり震災から5年が経過するまでは現地を訪れると、「忘れられるのがこわい」という不安の声が多かった。ところが5年を経過した頃から”被災地”で、冒頭のような諦念を伴う声が聞こえてくるようになった。こちらの気持ちとしては否定したい。仮にも現地に足を運んでいる以上、自分が「忘れる」などということは認めたくないからだ。
だが一方で、確かに震災直後に比べると東北に思いを馳せることは減った。当時は地震の被害だけでなく、「原発事故」という非常事態を全国民が共有していた。何が正しいか、正しくないかわからず、東北はおろか関東から関西や九州へ移住する人もいた。だが現在の東京で放射能には意識は向かなくなった。知識を得て安心したというよりも、単に記憶が薄らいだという面がありはしないか。
確かに「復興」が特別なことではなく生活のなかに溶け込んだ面もある。昨年6月には、宮城県の若手漁師集団「フィッシャーマンジャパン」が東京は中野に「魚谷屋」という直営の居酒屋をオープンさせ、連日多くの酔客でにぎわっている。
魚谷屋の例でも明らかになってきたが、復興イベントからは「東北」「チャリティ」の色は薄くなってきた。支援をするにしても、現地から一次産品などを取り寄せるなどの「事業支援」型に移行した。むしろ昨年は、熊本で地震が起きたり、東北の一部沿岸部から北海道・十勝地方にかけて例年では考えられないような台風の災害が起きた。その分、東北への支援への意識は薄まった。東京にいると東北は一段落したのでは、という錯覚にとらわれる。