中国ではこのところ、中国政府における「経済政策立案・実行の指令塔」といわれる中国国家発展改革委員会や対外通商政策を総括する商務省のトップ人事で、習近平国家主席の腹心が就任したほか、経済・金融関係の重要ポストにも習氏に近い幹部が登用された。
これも、最高幹部がほぼ入れ替わる秋の第19回共産党大会をにらんでの動きである。今回の習氏主導の経済閣僚人事により、従来は経済政策に責任を持ってきた首相の李克強氏(党政治局常務委員)の影が薄くなっており、党大会後来年春には首相を辞任し、中国全国人民代表大会(全人代=国会)常務委員長に転出するとの観測が強まっている。
2月下旬に開かれた全人代常務委員会では、発展改革委のトップだった徐紹史主任が辞任し、後任には何立峰副主任が就任した。何氏は習氏が18年間在任した福建省の出身で、習氏が同省アモイ市副市長として赴任した1985年6月には、何氏もアモイ市幹部を務めており、新任の幹部だった習氏を助けた。
その後も二人三脚ぶりを発揮し、習氏が福建省長だった2000~2002年には、何氏は同省の省都・福州市トップの党委書記務めていた。その後、アモイ市党委書記や天津市党委副書記などを歴任。特に天津市勤務時代、170人以上の死者・不明者を出した経済開発地区のトップを務めていながら、責任を問われなかったのも、習氏に極めて近いためだったといわれる。