肩までの髪に、おそろいのワンピースを着た仲よしの姉妹。グアムでは夕陽が沈む海で、イタリアではピサの斜塔の前で――実際の姉妹に似せて作られた30cmほどのぬいぐるみ“姉妹人形”が訪問した国は20か国にもおよび、たくさんの写真が撮影された。
世界各国を回った姉妹人形。右上から、イタリア、イギリス、アラブ首長国連邦、オーストリア、グアム。
「東日本大震災から6年。6才だった長女の愛梨(あいり)は、生きていたら春から中学生になります。これからは愛梨と過ごした時間よりも、いない時間の方が多くなる、私たちにとっては特別な年です」
宮城県石巻市在住の佐藤美香さん(42才)はそう言って長女・愛梨ちゃん(享年6)の遺影をじっと見つめる。ハートマークが大好きだったという愛梨ちゃん。大好きな水色の服を着て微笑む遺影の前には、色とりどりのお花やお菓子、ぬいぐるみが飾られている。
2011年3月11日午後2時46分。大地震発生の直後、幼稚園の送迎バスは、津波が迫るなか園児12人を乗せて発車。愛梨ちゃんはバスの中で被災して短い生涯を閉じた。妹の珠莉(じゅり)ちゃんは当時3才。姉の死を理解するにはあまりにも幼かった。
「3つ下の珠莉はいつも愛梨について歩いて、なんでも真似て、愛梨が右に行けば右、左に行けば左にという感じでした」(佐藤さん、以下同)
幼稚園から帰ると「珠莉ちゃん、遊ぼう!」と声をかける愛梨ちゃんだが、11日、愛梨ちゃんは帰ってこなかった。次の日も、その次の日も愛梨ちゃんの行方はわからない。その深夜のこと――
「寝ていた珠莉が突然、わーっと大きな声で泣き出して、私も主人もびっくりしました。すると珠莉が“ママ、ママ、汚い!”って叫ぶんです。あ、愛梨だ。そう確信しました。珠莉はまだ3才で、はっきりとしゃべることができないのに、しっかり発音している。何よりも話し方や声が愛梨でした」
いつも一緒だったふたりの強い絆。愛梨ちゃんは妹の体を借りてお別れをしに来た、佐藤さんはそう確信した。愛梨はどこか汚いところにいる。明日は必ず見つけよう。そう夫と話していると、再び「ママ」と呼ばれた。
「珠莉を抱いて“どうしたの?”って話しかけました。するとやっぱり愛梨の声で“ママ、好き”って言ってくれたんです。だから“ママも愛梨のことが大好きだよ”って伝えました。今でも、愛梨の最期の言葉は“ママ、好き”だと思っています」
翌日、がれきの下から焼け焦げになったバスと、愛梨ちゃんを含めた園児4人の遺体が発見された。ずっと珠莉ちゃんは「愛梨を迎えに行って」「どうして帰ってこないの」と口にしていた。火葬が終わった数日後、佐藤さんは心を決め「愛梨はね、お星さまになったの」と話したという。