偉人の伝記にも数多く登場する野口英世は福島県の貧しい家庭に生まれ、左手に障害を持ちながらも医学を志し、伝染病の研究に生涯を捧げた。「努力だ、勉強だ、それが天才だ」という言葉が有名。2004年より千円札の肖像になっているが、作家・星亮一氏は「まさかの素顔」を明らかにする。
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野口英世といえば、子供の頃、左手に大火傷を負いながら苦境に負けず、細菌学の研究に生涯を捧げ、多くの人命を救った「努力の人」というイメージが強い。だが、素顔の英世は生粋の「放蕩人」だった。
福島県の農家に生まれた英世は幼少時、囲炉裏に落ちて大火傷を負い、以降は劣等感に苛まれた。負い目をパワーに変えて医学の道に邁進する一方、金が入ると酒をあおり、遊廓で豪遊して朝帰りを重ね、金欠になると借金を繰り返した。
金がない時は人から借り、あれば遊興に使い果たす──そんな野放図な男を支えたのが歯科医・血脇守之助だ。英世に無心されると身銭を切り、英世を悪く言う者を「野口は希代の天才だ。型にはめるのは彼の天分をそこねる」とたしなめ、英世の職探しに奔走した。
横浜の海港検疫官時代、英世は横浜港に入港した「亜米利加丸」の船倉で日本人として初めてペスト菌を検出し、その功績を認められて清国への派遣が決まった。だが、支給された支度金はすぐ借金取りに回収されて一文無しになった。
困った英世に泣きつかれた血脇は女房の着物を質に入れ、何とか金を用立てて英世の渡航資金とした。
清国に向かう途中、下関に寄港した英世は、「今宵は大いに飲もう」と同行する一同を下関一の料亭「春帆楼」に誘う。言い出しっぺがおごるものと思った一同は散々飲み食いしたが、勘定を払う段になると肝心の英世の姿がなかった。
この時、英世は「食い逃げ」を試みたのだ。一同は割り勘で何とか事なきを得たが、その後なじられた英世は、「悪い悪い、眠くなったのでお先に失礼した」と無邪気に語ったという。