【著者に訊け】加藤秀行氏/『キャピタル』/文藝春秋/1300円+税
これは、現代の勝ち組に限った憂鬱なのだろうか? 大手コンサルファームで勤続7年。その報奨として1年の〈一時休養(サバティカル)〉を得た〈僕〉は、バンコクの〈他人の愛人が消えた部屋〉を知人に借り、ある雨の朝、女がなぜ逃げたかを想像してみたりする。
〈肌寒いバンコク〉〈ほとんど定義矛盾だな、早朝から路地に降る雨を見つめて思う〉〈この部屋で雨に降り込められた女〉〈ある日思い立ち、トランクにすべてをつめて雨の中を抜け出す〉〈水平線の朝日を見ながら、新たなパトロン探しを決意する〉……。
そんな他愛もない妄想が、のちに語られる彼の心身の疲弊と響き合う時、なぜか陳腐とも思えなくなるから切ない。加藤秀行著『キャピタル』が孕むこの重だるく、先の見えない空気は、俗に言う高度資本主義経済の限界を生き、働く、誰のものでもあるのだから。