がん闘病の末、3月14日に天国へと旅立った俳優・渡瀬恒彦(享年72)。近年は人情味あふれる芝居でお茶の間を魅了したが、芸能界一の「武闘派」としても知られた。一方で渡瀬は、めっぽう優しかった。特に川谷拓三、室田日出男、小林稔侍ら、東映京都撮影所専属の“大部屋役者”をよく世話した。渡瀬が発起人となって「ピラニア軍団」を結成し、まだ俳優として芽が出ていなかった彼らが注目を浴びるきっかけを作った。映画監督・中島貞夫氏はこう語る。
「彼らはいわゆる“斬られ役”。スターはそういう連中とは一線を置くもんだけど、恒さんは気っぷがいいからお酒を飲ませたりして年下なのに兄貴分的な感じで面倒を見ていました。
ピラニア軍団は呑み助ばっかり。恒さんは根は真面目だけど、負けず嫌いだから“負けちゃいられねぇ”って、豪快に飲んでたね」
例えば「じゃんけんで負けたら1杯飲む」というゲームでも、ピラニア軍団の場合、「1杯」といってもグラスではない。
「アイスペールにウイスキーを丸々1本入れて、負けたヤツが飲んでいく。それを延々と繰り返すんです。でも、恒さんは二日酔いの姿を決して見せませんでした」(太秦関係者)
役者たちだけでなく、渡瀬にとってはスタッフも家族同然だった。1990年から約2年半、渡瀬の付き人を務めた俳優・永井なおき(48)がこんなエピソードを明かす。
「雪山のロケで、本来なら朝届くはずだったお弁当が遅れて届いたんです。極寒の雪山ですから、中身がカチカチになっていた。そのお弁当をそのまま配り始めた製作チームに渡瀬さんは『撮影スタッフに対する労いの気持ちが感じられない!』と怒った。それから『みんな、一緒に来い』とスタッフをレストランに連れていって、全員に温かい食事をご馳走したんです。渡瀬さんにとっては、相手が偉い人でも、下っ端でも、基本関係ない。一生懸命頑張っている人間の面倒はとことんみる方でした」