学校法人森友学園への国有地払い下げなどの問題で一気に渦中の人となった安倍晋三首相(62才)の妻・昭恵さん。森友学園のスキャンダルにどう関わっているのか、連日注目が集まっている。
そんな昭恵さんは1962年、森永製菓創業家の長女として生まれた。曽祖父の森永太一郎氏は米国で洗礼を受けた敬虔なクリスチャンで、帰国後に後の森永製菓を創業。奉仕精神を持つ太一郎氏は、関東大震災後に幹部の反対を押し切り、被災者にお菓子を無料で配ったという逸話を持つ。
「今でこそお酒はたくさん飲むし、パワフルな昭恵さんですが、赤ちゃんの頃は色が白くてひょろりと手足が細長く、夜泣きがひどくて何度ミルクを飲ませても吐いてしまい、お母さんが“ちゃんと育つかしら”と真剣に悩むほどの繊細な子でした」と昭恵さんの幼少期を知る関係者は明かす。
その後、ミッションスクールの聖心幼稚園に入園し、聖心女子学院の初等科、中等科、高等科と進んだ。おっとりとした話し方で目立たない子…それが学校に通っていた頃の昭恵さんを知る人たちの昭恵さん評だ。現在の活発な姿からは想像もつかない。
「11才の時、学校のシスターから“もう少し積極性を出したらよいのでは?”と助言され、1か月間カナダに短期留学したんです。現地でさまざまな国の子供たちと交流したことがきっかけで徐々に積極的になっていったそうです」(幼少期を知る関係者)
高校ではゴルフ、テニス、スキーなどスポーツに熱中。ただ、本人も公言するように「勉強が大嫌い」。教師から内部進学でも大学には行けないと言われ、聖心女子専門学校に進んだ。卒業後は電通に入社した。
「新聞・雑誌局に在籍していて、仕事ぶりはほとんど覚えていませんが、お酒の席では明るくて歌を歌うことが好きで、“宴会部長”のような立場でした。会社の英会話サークルに入っていましたが、英語力はちょっと?? なレベル。トランプ大統領とコミュニケーションはとれたのかしら…」(昭恵さんの電通時代を知る人)
その頃、出会ったのが未来の夫だった。安倍首相は成蹊大学卒業後、米国の大学を経て神戸製鋼所へ入社3年間の勤務後、外務大臣をしていた父・晋太郎氏の秘書官となった。出会いは1984年、昭恵さんの勤務先上司の紹介だった。
「上司の紹介という名目ですが、実際は名家同士の“お見合い”でした。場所は原宿のパーラーで、昭恵さんは待ち合わせに30分ほど遅刻しました。8才年上の晋三さんは不快感を隠せなかったようですが、話が合ったので結果オーライのようでした」(昭恵さんの知人)
昭恵さんは安倍首相の第一印象を過去にこう述べた。