【著者に訊け】牧久さん/『昭和解体 国鉄分割・民営化30年目の真実』/講談社/2500円+税
たった30年前の話なのに、「国鉄」という響き自体、妙に歴史じみて感じられるのは、なぜなのだろう? 1987(昭和62)年3月31日。日本国有鉄道は明治5年に新橋―横浜を繋いだ本邦初の官営鉄道以来、115年の歴史に幕を閉じた。膨大な累積赤字や労使関係の歪み、現場モラルの低下等々、〈病める巨象〉の再建は特に昭和後半、政府及び国民の一大関心事だった。
牧久著『昭和解体』では、JRへの分割民営化に事が動いた20年間に着目。第二次臨時行政調査会(土光敏夫会長)を発足させ、〈国鉄を分割・民営化すれば、一企業一組合の原則の中で、全国一本の各組合も分断され、総評・社会党を支えてきた闘争至上主義の国労を解体に追い込める〉との筋書きを描いた中曽根康弘元首相や、〈三人組〉と呼ばれた若手改革派の暗躍を軸に、斃れるべくして斃れた巨象の実像に迫る。
彼らが解体に突き進んだ20年余は、〈幕藩体制を崩壊に追い込んだあの「明治維新」にも似た昭和の時代の「国鉄維新」であったのかもしれない〉と牧氏は書く。そして、30年後の今だからこそ、見えることもあると。
日経新聞副社長、テレビ大阪会長を経て、2009年以降、精力的にノンフィクション作品を発表する著者自身、1968年から国鉄記者クラブに常駐。元満鉄理事で国鉄第4代総裁を務めた新幹線の父・十河信二の評伝『不屈の春雷』も手がけるなど、鉄道や昭和史とは縁が深い。
「私は60年安保の年に上京して、日経の社会部に入ったのが東海道新幹線開業で国鉄が単年度赤字に転じた1964年。自分の記者生活と国鉄解体への20年がちょうど重なるんですね。
特に累積赤字が表面化し、国鉄が5万人の合理化策を打ち出した1967年以降、労使関係はいよいよ迷走する。これは戦後の下山・三鷹・松川各事件に波及した1949年の9万5000人に次ぐ一大整理で、それまで二人乗務が原則だった運転士を一人にする〈一人乗務〉で浮いた人員を他にまわす、文字通りの合理化でした。
特に運転士の組合である動労は猛反発し、この時、組合側が勝ち取った〈現場協議制度〉が労使の力関係をおかしくし、国鉄崩壊の引き金を引くとは、当時は誰も想像しませんでした」