「裕次郎さんが亡くなってちょうど30年。その名に恥じぬよう、石原プロを盛り上げていこうと思っていた矢先のことでした。一体何が起きたのか…。今はただ呆然としています」
混乱の渦中にあって、絞り出すようにそう話してくれたのは、3月末まで『石原プロモーション』で常務取締役を務めていた仲川幸夫氏(77才)だ。
石原裕次郎さん(享年52)が40代前半の頃から亡くなるまでを担当した「最後のマネジャー」で、裕次郎さんが名付けた『ポンポコ』の愛称でテレビや映画関係者からも親しまれてきた人物である。
発端は4月初旬、マスコミに配られた石原プロの「役員改正」のお知らせだった。
「仲川さんが任期満了を理由に会社を去る一方で、6年前に社長から退いていた渡哲也さん(75才)が『相談取締役』として経営陣に復帰したという内容でした。でも、今、渡さんは自宅のベッドから起き上がるのがやっとという深刻な病状だと聞いています。体力的に大丈夫なのかと心配する声が上がっています」(芸能関係者)
石原プロは裕次郎さんが1963年、芸能事務所兼映画製作プロダクションとして設立。渡を筆頭に、舘ひろし(67才)や神田正輝(66才)らが所属し、かつては寺尾聰(69才)や峰竜太(65才)も名を連ね、『石原軍団』のニックネームで親しまれてきた。初代社長の裕次郎さんの没後は、渡が跡を継いで2011年まで社長を務めてきたが、体力的なこともあって退いていた。
「その後、裕次郎夫人で会長を務めるまき子さん(83才)をナンバー2の立場で支えてきたのが常務の仲川さんでした。最近は過去の作品のソフト化や有料放送などに力を入れるなど手腕を発揮して、会社の経営は黒字で安定。ところが、この3月に突然の解任通告があったそうなんです」(前出・芸能関係者)
もともと石原プロには『コマサ』の愛称で親しまれた小林正彦・元専務(享年80)という大番頭がいた。映画離れが進み、映画製作プロダクションの多くが経営を悪化させていった時代に、早くからテレビドラマの可能性に目をつけ、裕次郎さんほか俳優陣を説得してドラマ界に進出。その決断が『太陽にほえろ!』や『大都会』、『西部警察』などの大ヒット作を生んだ。