悲願の五輪4連覇をかけたリオ五輪女子レスリング53kg級決勝戦。惜しくも敗れた吉田沙保里選手(34才)。その母・幸代さん(61才)がこの度、負けても心が折れないたくましい子どもを育てる子育て論満載の『負けても克つ子の育て方 泣かないで沙保里』(小学館)を出版した。
沙保里選手は中学1年から毎年、国際大会の年代別で優勝を続けた。中学3年の時には全国大会の1か月前に練習試合で手首を脱臼骨折。それを押して試合に出場し、片手で戦いきって優勝した。
それでも、まだ沙保里選手は“無敵”ではなかった。同じ階級には2つ年上で、世界選手権で4度優勝した山本聖子選手がいて、大学1年だった2001年8月には全日本学生選手権の決勝でフォール負け。さらに同年12月には準決勝で逆転負けを喫した。
「守りに入ったがための逆転負けでした。守って負けたことの悔しさに、3位決定戦が始まるまでの1時間、沙保里はひたすら泣き続けたそうです」
翌2002年4月、山本選手にリベンジを果たした沙保里選手はその後、連戦連勝。アテネ五輪では見事に金メダルを獲得した。
その連勝記録が「119」でストップしたのは、北京五輪直前の2008年1月に中国で行われたワールドカップ国別対抗の団体戦でのことだった。
「日本代表の栄監督から“沙保里が泣き続けているから、なんとかしてほしい”と電話がありました。私が“119人の選手があなたに負けて泣いてきたのよ。1回負けたぐらいでクヨクヨしてどうするの。北京五輪で勝てばいいでしょ”と言うと、沙保里は“うん、そうだね。わかった、頑張る”と言っていました」
この時期、沙保里選手は敗戦を大きく報じたスポーツ紙を額に入れ、部屋の目立つところに飾っていたという。
8月の北京五輪では復活して、金メダルを獲得。沙保里選手が幸代さんに「あの時の負けは神様が私に与えた試練やったね」と言うと、幸代さんはこう答えた。
「沙保里、あれは神様からのプレゼントでしょ」
負けを経験するたびに、沙保里選手はよりいっそう強くなっていったのだ。その彼女が“強さ”を見せたのは2014年3月、父・栄勝さんが運転中の車内で意識を失い、くも膜下出血で亡くなったときのことだ。急きょ実家に帰った沙保里選手は、4日後に控える国別対抗のワールドカップに出場するか、実家に残って葬儀に参加するかの選択に迫られていた。