「毒母」とよばれる母親に悩まされてきた女性が自身の体験を明かす──。「自らの半生を見つめ直し、それを書き記すことによって俯瞰して、自らの不幸を乗り越える一助としたい」という一般のかたから寄せられた手記を、原文にできる限り忠実に再現いたしました。渡辺茂子さん(東京都・52才)が告白します。
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「毒」という文字の下半分は母。私の半生は、母の毒に苦しみもがき、振り回されっぱなしでした。そしてそれは今なお続いています。
母はいつも誰かを憎んでいないといられない人。いったん憎しみを持つとトコトンで、まず自分のきょうだいに向けられ、次は父。そして私。
自分の思い通りにならないと感情を爆発させ、言葉の暴力が止まらない。それだけなら、こちらが感情を鈍くして嵐の通り過ぎるのを待てばいいのですが、母の本当の恐ろしさはそんな生やさしいことではすみません。
私は物心ついたときから、家で母とふたりだけになるのが怖くて仕方がありませんでした。それがなぜか──わかったのはずっと後のことです。
◆家の家具は、デパートの包装紙でおおわれていた
父はガス会社に勤務し、母は専業主婦。私はひとりっ子でした。わが家の玄関に立った人がまずびっくりするのは、靴箱全体をおおったデパートの包装紙です。極度に潔癖性の母は、ほこりがつくのを嫌って、家の家具も電化製品も、すべて包装紙で包んでいました。
その包装紙の上に積もるほこりも気になるようで、朝から晩まで片時も雑巾を手放さないのです。そして夜、帰ってきた父がちょっとでも部屋を汚すと、ものすごい勢いでくってかかります。
「あんたは、ばい菌をこの家に持ち込むのか。あんたが死ぬのはいいが、私と子供を殺したら承知しないからな」
母は怒ると男言葉になります。そのうち母の怒りは、父個人ではなく、父の親きょうだいに向けられ、「バカ女の息子はやっぱりバカだ」と叫びだします。
そこまで言われても父はグッと拳を握って、口を一文字に結んで動きません。それをいいことにますますひどい言葉を投げつける母が、最後は泣きわめいて自滅するのがいつものパターン。
ところが、そうならないことが年に数回起こります。わめき散らす母に、父が拳を振り下ろすのです。4、5才だった私は、「ママを助けて」と泣きながら、お向かいの家に助けを求めた記憶があります。
しかし、父の拳はあくまで母の暴言の対抗手段で、私に手をあげたことは一度もありませんでした。
◆母に刺された鉛筆が背中で折れ、気絶した
今思えば、ダイニングキッチンも異様でした。父は2階の自分の部屋で食事をとっていました。母がお盆にのせた食事を階段の踊り場に置くと、知らない間に父が受けとり、空になった食器をまた階段に戻しておくのです。