東京都「築地移転問題」にせよ、東芝「巨額損失」問題にせよ、組織の迷走が昨今目につく。組織を動かすのはリーダーシップではなく、こうあってほしい、こうなるだろうという「空気」。責任の所在を問おうにも問えない。
これを日本人特有の問題として摘出したのが思想家・山本七平だ。キリスト教一家に生まれ、フィリピンで終戦を迎え、戦後、防衛庁前で小さな書店を営んだ。その男が数十年前に警鐘を鳴らした「言葉」は古びるどころか、いっそうの危機感を伴い、我々に気づきを与える。文芸評論家の富岡幸一郎氏が、山本七平について語る。
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確かに、そろそろ山本七平に立ち返るべき時がきたのかもしれない。その理由としてまず、「アメリカ・ファースト」を主張するトランプ政権をはじめ、現在、世界的にポピュリズムが盛り上がりを見せていることが挙げられよう。
ポピュリズムとは大衆迎合主義であり、庶民の常識を政治に反映するものである。現在では、より所得の低い人たちが特権階級の富裕層を批判するものとなっている。欧米は移民問題に直面し、イギリスがEU離脱を決めたのはその象徴だ。
しかし、日本における先の舛添バッシングなどの同調圧力を「ポピュリズム」と言えるかは疑問である。世界的なポピュリズムの動きとは異なり、日本では独特の精神を反映した「ポピュラリズム(人気主義)」なのではないだろうか。
それはすなわち、かつて山本七平が言った日本人特有の宗教風土、文化精神に根ざす“空気”が濃密に現れた結果であり、それを正確に表す言葉がないために、とりあえず「ポピュリズム」としていると言ってもよい。我々は、その空気の正体を見極めなければならない。