「毒母」との壮絶な戦いにケリをつける──。東京都の渡辺茂子さん(52才)が自らの半生を告白する。
〈本稿は、「自らの半生を見つめ直し、それを書き記すことによって俯瞰して、自らの不幸を乗り越える一助としたい」という一般のかたから寄せられた手記を、原文にできる限り忠実に再現いたしました〉
【前回の概略】
子供の頃、私は、母から背中に鉛筆を突き刺され気絶した。祖母は押し入れで悶死した。母はその遺骨をお墓に入れず、ごみの日に出した。次は父が…。
* * *
母の行動は、予想がつきません。祖母が亡くなりしばらく経つと、突然、「お金を稼ぎたい」と言い出しました。
受験を控えた私を残し、隣の県の温泉街の高級旅館で働くというのです。「住み込みの仲居なら、お給料は丸々貯金できる。有名人が多く宿泊する高級旅館で、チップだけでもばかにならないんだって」と、珍しく母は浮かれていました。
しかし、10日ごとに3日間の休みをとって自宅に戻ってくると、また私の悪夢が始まります。仕事のストレスからか、前にも増して気にくわないことがあると、手当たり次第ものを投げつけるのです。
ある時、私の悲鳴を聞いて父がリビングに入ってきました。ああ、助かったと父を見ると眉間のしわを深くするだけで動きません。「がまんしてくれ」と、目で私に合図を送っていたのです。
私は歯を食いしばって母の振り下ろすほうきの柄の痛みに耐えていました。
◆クラスメートは「たのきんトリオ」に夢中だったのに
仕事を始めてから母は変わりました。お金を稼ぐこと、増やすこと、貯金をすることに夢中になったのです。
祖母からぶんどった株券がずいぶんと値上がりしたようで、家をリフォームしたり、高級家具をオーダーメードしたり。呼びつけた業者の対応が気に入らないと言っては、名刺をやぶり捨て、その業者の顔に投げつけたりしたので、母を恨む人もいたようです。
私はというと、週に2日のバイオリンのレッスンの日以外、門限は6時。クラスメートが「たのきんトリオの誰々が好き」と騒いでいる横を、目立たないようにそっと帰る。息を押し殺すような日々を過ごして、なんとか東京の音大へ進みました。
◆鍼灸院を営む夫を「どこの馬の骨」と激怒
それからが私の青春でした。なにしろ母から離れ、東京でひとり暮らしです。音大を卒業すると、音楽教室の講師と、歯科医助手のアルバイトをかけもちしました。
音楽教室が入っているビルで、鍼灸院を営んでいたのが夫です。しかし母が二つ返事で許すわけがありません。
「どこの馬の骨ともわからない男と」
予想通り、激怒しました。「医者でも弁護士でも、大学の研究者でも大会社の社員でもない男と、なんで」とわめき、「何のためにバイオリンを仕込んだと思っているの!」と言うのです。
母はバイオリンという聞こえのいい楽器を弾けたら、条件のいい結婚相手が見つかると信じていたのです。
父は結婚式に出席してくれましたが、母は、「急病で」欠席。長い間、夫の親に会おうとしませんでした。