在野の思想家・山本七平と、戦後民主主義の理論的指導者とされる政治学者・丸山眞男。一見、対極的だが、思想史研究家・先崎彰容氏は、戦後日本を見つめる二人の視点に奇妙な共通項が読み取れることに注目する。
* * *
具体例から考えてみたい。たとえば1年ほど前まで、国会前でデモをしていた人々は、「民主主義って何だ! これだ!」と絶叫し、「民主主義」という言葉を自己肯定的な意味合いで使っていました。その姿を好意的に報じるメディアも多かった。ところが、こうした運動が実際の政治状況を動かすに至らないまま、「政治の季節」が過ぎさった。
そして今度は英国がEUから離脱し、アメリカがトランプを大統領に選出するという歴史の転換点を我々は目撃することになります。こうした状況に、民主主義を大衆愚民主義と決めつけ、今度は一転して否定語として使い始める人が現れています。不都合な事態が起きると掌を返して、民主主義はポピュリズムだと批判する姿勢は、それ自体が極めてポピュリスティックだと私は思う。なぜなら民主主義という長い歴史をもつ言葉を侮辱し、自分の都合で正反対の意味でつかっているからです。
これが山本七平のいう「空気」の支配とすれば、そのときどきの状況に流されてポピュリストになるのが日本人ということでしょう。
ところで、思想的立場は山本と対極にあると思われがちな政治学者・丸山眞男も、実はほとんど同じ指摘をしています。30年ほど前に、昭和天皇の病状が重篤化した際、会社の宴会や地域のお祭りは中止になり、デパートもガラガラ、テレビの自動車のCMでは「お元気ですか?」のフレーズが消されるなど、日本中が自粛ムードに包まれました。晩年の丸山は、誰も主体的に判断せず、雰囲気に飲まれて流されていくこの状況を見て、「戦時中と同じだ」と警告を発しました。
福沢諭吉の研究で知られる丸山は、『福沢諭吉の哲学』のなかで、福沢が、価値判断のたびに状況分析をせずに「惑溺(ある物事に夢中になって判断力を失うこと)」に陥る日本人の性質を厳しく批判していると述べています。右寄りと見做される山本と、戦後のインテリ層をリードしてきた丸山が、奇しくも同じような指摘をしているのです。