東京五輪を目前に控えた1964年、茨城県の山間の村で育った谷田部みね子(17才)は、2人の幼なじみと集団就職で上京し、墨田区の電機工場で働き始める。“金の卵”たちは、明るい未来がきっとやって来ると信じ、高度経済成長の東京で過酷な現実と奮闘し続ける──。
NHK連続テレビ小説『ひよっこ』は、1960年代の茨城と東京を舞台に、高度経済成長の日本を描いた作品。細かいリアルな描写が評判の朝ドラだ。1959年生まれの脚本担当・岡田惠和さんは、番組HPにこんな言葉を寄せている。
《急激に成長する時代が持つエネルギーみたいなものを書きたいという話になったんです。(中略)当時を東京で見てきたから、空気感みたいなものは覚えています。都市がどうなっていたのかも記憶にありますし、東京オリンピックやビートルズが来日したことも覚えています》
1960年代を境に日本は変わったといわれている。大阪府立大学教授で工学博士の橋爪紳也さんは、1960年に大阪で生まれた。
「暮らしも環境もいろんな出来事が起きて、日々、変わっていったという時代でした。日々豊かになっていき、日本中がその豊かさに向かっていきました。それを子供でも実感できた時代でした」
豊かさ──現代ではあまり使うことのない言葉だろう。1960年代の暮らしはどんなものだったのだろうか。
日本が高度経済成長を迎えるきっかけとなった出来事は、1950年の朝鮮戦争だ。大妻女子大学学長の伊藤正直さんが解説する。
「土嚢や軍需品の部品、自動車のタイヤ、軍服などを日本は作りました。朝鮮戦争特需といわれました。そういう条件の中で日本経済が立ち直ってきました。日本が本格的な重化学工業化に成功します。すると、工場に働き手が必要なので、地方から集団就職の若者が東京、大阪、名古屋などの大都市にやって来る。3世代で暮らしていた大家族が激減しました。核家族化です」
池田勇人内閣が、所得倍増計画を打ち出し、政府の経済政策と企業の努力で、日本経済は、ますます発展していった。
「新幹線、高速道路…またダムができて、水力発電ができるようになり、電気が全家庭に普及していきました」(伊藤さん)