「ティーンのパーティは足代だけでするよキャンペーン」をこの4月に始めたDJのアボカズヒロ氏は、十年以上前から幼稚園・保育園でのDJ活動を続けている。今ではライフワークとなったこの活動を始めた当時、アボ氏は東京藝術大学の学生だった。「いまDJを仕事にできているのは、藝大で学生生活を過ごしたおかげ」というアボ氏に、藝大での学生生活のこと、子供を対象としたDJについて、自由へのリテラシーについて訊いた。
* * *
──東京藝術大学といえば、個性的な人ばかりが集う場所だというイメージが強いです。
アボカズヒロ(以下、アボ):変人がいっぱいいると思われがちですね。確かにいますが、変な格好で話が全然通じない、びっくりするような行動ばかりする、そんなわかりやすい変人ではありません。普通に考えたら妥協するところで絶対に妥協しないことにおいて徹底できる異常さを持った変人が集っていました。彼らには、とにかく圧倒されました。粘り強さが常軌を逸しているんです。
──あきらめない人たちなんですね。
アボ:あきらめない力というのが、とにかく強い人たちの集まりでした。みんな普通に居酒屋へ行って、普通に呑んで普通に話が出来ます。ただ、モノを作る、企画を考える、コンセプトを考える、自分が何かを表現するということに関して妥協しない。ものごとを突き詰めることに対して”ほどほど”ということがない人たちでした。そこにブレーキがないんです。
──ブレーキがない人たちがつくる世界にいきなり飛び込むと、大混乱しそうです。
アボ:圧倒されてぺちゃんこになりすぎて、心身のバランスを崩した時期がありました。結果、大学卒業に5年かかりました。やっぱり、どこかで自分のことを「凄いヤツ」だと思っていたんです。DJとしての実績を積み、音楽もよく知っていて、藝大に受かったような高校生は田舎では他にいなかった。でも、入学したら、自分くらいの18歳は珍しくないし、ひょっとしたら劣るかもしれないと思わされた。
──同級生たちは、どんな人たちだったのですか?
アボ:楽譜が読めなくても、楽器が出来なくても入学できますよという学科でしたが、楽譜を読めて楽器ができて、英語も流ちょうに話すし、学業も優秀な人ばかりでした。東大を卒業してから受験して入ってきた先輩もいましたね。DJ経験は同世代では多いほうだろうと自分では思っていたけれど、僕が青森にいる間、みんなは渋谷まで電車15分のところにいたりして、場数でもかなわない。そのなかで戦うのはしんどかったですね。でも、そのぺちゃんこになった経験は、いま、ものすごく役立っています。
──ショックを受けても立ち直れたからでしょうか?
アボ:負けて、自分がもっとよくなるという実体験を得られたからです。おかげで圧倒されることが怖くなくなった。自分よりすごい人やモノに対する嫉妬は……あるなぁ。そして自分へのプライドもあるし、負けたときはすごく悔しい。とても辛いです。惨めな気持ちにもなります。でも、圧倒的に自分よりもすごい才能の近くに身を置いていると、負けるたびに自分も伸びると気づきました。だから悔しいながらも、どこか快感を得られるんです。この経験で、自分が次のステップへ進めるとわかるから。
──敗北感を味わわされる経験は、そうでない場合と何が違うのでしょうか?
アボ:負けた相手に対して、どうすれば太刀打ちできるのか必死で考えられるからです。圧倒的な相手だけけれど、対等に近い形でわたりあう方法が何かあるはずなんです。そして自分の戦い方を必死に、強烈に考えます。持たざる者がどう戦うかですね。これは負けないとできない。
──芸術、音楽の話のはずが、まるで格闘技選手の試合後インタビューのようです。
アボ:戦いですから(笑)。大負けしてぺちゃんこになっても、そのあと飛躍できることを知って以来、僕は負けるのが怖くなくなりました。とはいえ、30歳を過ぎた今では、精神的に大きくへこまされると日常の仕事に支障が出て多方面に迷惑をかけるので、あまり大きな負けに出会わないよう加減しています。大負けからのやり直しに、スケールを気にせず挑戦できる十代や学生がうらやましいです。