一度分裂した組織はさらなる分裂を繰り返し、より過激な内ゲバを繰り広げる―日本最大の暴力団である山口組は、最初の分裂から2年も経たずに再び分裂、ついに「山口組」を名乗る組織が3つも並び立つ異常事態を迎えた。行き着く先は、やはり血で血を洗う抗争しかないのか。フリーライターの鈴木智彦氏が報告する。
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4月30日、“山菱の代紋”が再分裂した。
六代目山口組を飛び出して発足した神戸山口組の最前線指揮官と言われていた織田絆誠(よしのり)若頭代行を中心に、山健組の傘下から約30団体が脱退。真鍋組、古川組なども合流し、兵庫県尼崎市の古川組事務所で「任侠団体山口組」を旗揚げしたのだ。代表となった織田氏は、神戸山口組の井上邦雄組長の出身母体、山健組の副組長だった。
これによって山口組は3つに割れ、大組織の分裂抗争としては極めて珍しい状況が生まれた。いまのところ古巣である六代目山口組に戻るという話は聞かない。六代目山口組も暴力団である以上、これほど絶好のチャンスを見逃すはずはないが、こう言い放つ。
「あれは神戸山口組、言わば山健組の内紛だ。あちらは謀反をおこし、山口組から絶縁された人間の集まりだから同じに語って欲しくない。うちの親分にやった非道が、そっくり自分に戻ってきたわけで因果応報としか言いようがない」(六代目山口組幹部)
結成式当日、古川組事務所の前はマスコミのカメラでごった返した。兵庫県警は防弾チョッキを着用した機動隊を含め70人あまりを動員して物々しい。