相撲ブームが沸騰している。そこで、「謎のスー女」こと尾崎しのぶ氏が短期的に相撲コラムを執筆。今回は「時天空の巨大な遺影」について、紹介する。
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両国駅に置かれた回向院への案内の看板には「間垣家」の文字があった。モンゴル出身、四股名は時天空、帰化して本名もまた時天空慶晃の間垣親方は今年一月三十一日、悪性リンパ腫により死去した。享年三十七。
葬列の中に同じ一門でもモンゴル人でもない朱雀の姿があった。朱雀は東京農大の後輩であった。相撲関係者の側にまじらずファン・一般の人として並んでいて目立った。
時天空の引退会見の日、私は居ても立ってもいられず、入れてもらえるかどうかわからなかったが時津風部屋に足を運んだ。日本語教師として働く中国からわざわざ駆けつけたというファンの方と「想像していたより全然痩せてなかったね、元気そうで安心した」と手を取り合いよろこんだものだった。あれからたった五か月しか経っていない。