昭和の時代、街中にひっそりと佇んでいたエロ本の自動販売機。近年、すっかり見かけないあの箱はいったいどこにいったのか? 3年半にわたって全国中を探し求め、『あの日のエロ本自販機探訪記』を上梓した黒沢哲哉氏が青春時代の原風景が残る世界へと誘う。
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自販機専用に制作されたエロ本、いわゆる「自販機本」が出現したのは1975~76年頃。その数年前に登場した雑誌の自販機に関わる業者が、エロ本の出版社と組んで自販機本を作り始めたのだ。エロ本自販機は瞬く間に広まり、『ポルノ雑誌の昭和史』(川本耕次著)によれば、その数は1977年11月時点で全国に1万台、東京では3500台が稼働していた。しかも、その頃はたばこの自販機と同じように、夜でも人通りのある道路に置かれていた。
その頃の自販機本で活躍した篠塚ひろみ、寺山久美、小川恵子を覚えているだろうか。経費を抑えるために起用された素人モデルだが、彼女たちのルックスレベルは高かった。特にぽってりした唇がエッチで、陰のある無表情が妙にそそる小川恵子は人気が高く、中原みすず、三浦美保などと名前を換えていろいろな雑誌に登場した。
ブームになった自販機本に世間の批判が厳しくなり、業界はそれをかわすため、自販機に銀色のミラーフィルムを貼って昼間は商品サンプルが見えにくくしたり、住宅街に置かれた自販機ではおとなしめの表紙を見せて並べる、といった自主規制を行なった。それ以上に強い逆風も吹いた。1978~79年頃、専門書店で売られる形で人気となった“ビニ本”の登場だ。過激さにおいて自販機本はビニ本に劣った。