大相撲五月場所が終わった。ケガが治らぬまま強行出場した横綱・稀勢の里が無念の途中休場に追い込まれる波乱の中、支度部屋や舞台裏でも数々の“事件”が起きていた。
●支度部屋で稀勢に注がれた「目線」
今場所、東の支度部屋では正横綱となった稀勢の里が一番奥の正面に陣取った。日本人横綱がその位置に座るのは、実に16年ぶりのことだ。向かって左脇には東の張出横綱の日馬富士という配置だった。
「記者の間で話題になったのは日馬富士の様子です。激しく準備運動するわけでもなく、腕を組んでじっとしている時間が長い。精神統一を図っているのかと思いきや、目線はじっと左隣の稀勢の里に向けられていました」(担当記者)
11日目に休場するまで、支度部屋での稀勢の里の動きは慌ただしかった。左胸から腕にかけて、黒いサポーターを巻いて準備運動。土俵入りの時間が来るとサポーターやテーピングを外し、支度部屋に戻るとまたテーピングを巻く。
「普通、テーピングを巻く時は、付け人がバスタオルで周りから見えないようにするもの。角界では“左腕が痛い時には右腕に包帯を巻け”といわれるほど弱点を隠そうとしますから。それを稀勢の里は隠そうともせずにやっていて、日馬富士は熱心に観察していた。腕がどこまで上がり、どんな動きの時に顔を歪めるかを注視していたように見えた」(協会関係者)
今場所、稀勢の里への雪辱を期していた力士の筆頭格は、日馬富士と同部屋の後輩・照ノ富士(大関)だろう。「春場所千秋楽で大逆転を許した後輩が講じる“稀勢の里対策”のために、観察して情報を得ようとしていた可能性もある」(同前)とみられている。そうした周囲からの注目と重圧のなか、稀勢の里は休場を選んだのだ。