豊洲移転や五輪費用をめぐる小池劇場の最中、沈黙を貫いてきた男がいる。政治資金の公私混同問題などをめぐって昨年6月に辞任してから1年、舛添要一・前都知事は当時の批判やその後の小池ブームに何を思うのか。新刊『都知事失格』が話題の舛添氏が、本誌に独占手記を寄せた。同氏は都知事辞任前のバッシングについて「最高のサーカス(見世物)だった」とした上で「私はライオンに喰われた。マスコミに、そして彼らが作り出した世の“空気”に完敗したのだ」と述懐している。
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だが、そのライオンをうまく手なずけた政治家がいる。そう、私の後任知事となった小池百合子である。若い頃、テレビで共演したことはあるが、政治家としての彼女とは接点はない。
私の友人のある自民党政治家が、彼女のことを「刹那主義の権化だ」と評したことがある。その意味するところは、「先の見通しなど考えず、その瞬間、瞬間で判断する人物」だということだ。「いま人気が出ればよい、その場がしのげればよい」というのが彼女の判断基準だという。
実際に、小池都政の1年を分析してみよう。