相撲ブームが沸騰している。「謎のスー女」こと尾崎しのぶ氏が、現在相撲コラムを週刊ポストで執筆中。今回は、一時代を築いた大横綱・朝青龍が1勝もできなかったライバルについて尾崎氏が綴る。
* * *
朝青龍の十両昇進は二〇〇〇年九月、普天王は初土俵からたった三場所目の二〇〇三年五月。華々しい出世劇であった。すでに横綱、小結となっている二人が、二〇〇七年十二月の天草巡業ではじけるような笑顔で写真におさまっている。なぜか。それは写真に写っているもう一人、磋牙司(さがつかさ)の十両昇進がうれしいから。
一九九八年のインターハイ個人戦。準決勝で文徳高校三年の内田(普天王。一九八〇年生まれ)が明徳義塾高校の二年生ドルゴドスレン・ダシバドリ(朝青龍。一九八〇年生まれ)を下した。
前年に高校相撲番付で大関であった内田(上にいた三好、若松はすでに高校生でなくなっているので、暫定で横綱)は、優勝候補の本命と見られていた。当然である。しかし決勝、内田の貫禄にまったくひるまなかった沼津学園二年の磯部(磋牙司。一九八一年生まれ)の打った下手出し投げに、場内に衝撃が走る。
内田が高校横綱にならないとは、誰も想像していないことだった。しかもあんな小さな体の二年生に負けるとは。第七十六回全国高校相撲選手権大会は、優勝磯部洋之、準優勝内田水、三位伊藤豊とドルゴドスレン・ダシバドリの結果に終わった。