「その“死去”情報は、当時の清原武彦・会長(現・相談役)、住田良能・前社長(故人)が“独自のルート”から入手したというものでした。中国情報に強い記者や北京の中国総局の記者でもウラ(事実確認)が取れなかったため現場は懐疑的でしたが、トップが掴んできたネタということで、編集局長の飯塚さんが『何かあったら責任は俺が取る』とゴーを出した。飯塚さんには3か月の減俸処分が下りましたが、過去の誤報問題の時と比べると処分は甘かった。しかも説明記事で“編集局全体のミス”とされてしまったことに納得いかない記者は多い」(同前)
飯塚氏はその後、2013年に常務、2015年に専務と順調に出世し、6月23日の株主総会後の取締役会で正式に社長に就任する。
「むしろあの大誤報で飯塚さんが上をかばって泥を被ったという“功績”があったからこそ、今回の社長抜擢になったという見方もあります」(同前)
※週刊ポスト2017年6月16日号