「ファンキー! フライデーー!」──5月12日朝9時、生放送のスタジオ内に、番組のタイトルコールが大音量で響き渡る。
小林克也(76)が毎週金曜日にパーソナリティを務めるラジオ番組『FUNKY FRIDAY』(NACK5)は、1993年から20年以上続く長寿番組だ。人を惹きつけるダンディーな声質で、エッジの効いたトークをちりばめつつ、ヒットチャートの紹介やリスナーから届いたハガキを読み上げていく。小林はこの日もいつも通り、午後5時55分まで9時間近くの生放送を回しきった。
幼いころから洋楽を愛し、日本を代表するディスクジョッキーとして多方面で活躍する小林克也。1941年、真珠湾攻撃の年に生まれた小林にとって、すべての始まりは終戦後に夢中になって聴いたラジオだった。
「昔のラジオは窓があって、つまみを回すと針が動いて、周波数を合わせていました。冷戦時代で米軍がソ連や中国に向かって戦略的放送をしているから、ちょっと回せば英語が聞こえるし、ロシア語や中国語も聞こえた。
だから僕にとって、小学校の頃からラジオはおもちゃ。勝手にラジオを触ると怒られたけど、誰もいないときに遊んでいました。特に高校、大学時代はラジオを聴いて、アメリカの音楽番組に憧れ、ディスクジョッキーをやりたいと思っていたんです。聴いていて楽しいんですよね」
そう言って、小林は子供のような表情を浮かべた。広島から上京して慶應義塾大学に入学すると、ラジオで磨いた英語力と洋楽の知識を武器に、1970年にDJデビュー。その地位を瞬く間に確立すると、テレビのナレーター、俳優、ミュージシャンと活躍の場を広げていった。